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累進所得税による強力な経済成長と財政再建---吉越勝之さんのコメント

「経済成長 税制」をキーワードに検索したことがある人なら、おそらく全員が知っているであろう東京地方税理士会税理士 吉越勝之さんが、当ブログの記事「経済成長と減税を可能にする魔法の税制---累進所得税」にコメントを下さいました。

コメントには、企業の役割と政府の役割の違いについてや、高累進所得税制を敷いて経済を救い、国民を豊かにした4人の政治家(ルーズベルト大統領、クリントン大統領、吉田首相、池田首相)の共通点について、また、世界経済の現状のご認識について、興味深い内容が含まれていますので、以下に紹介させていただこうと思います。(一部、改行や句点を補いました。)

なお、吉越さんのホームページ「税制改革による経済成長と財政再建への構造改革」には、税制に関する豊富なデータと論説があります。WSも、上記の記事を執筆する際におおいに参考にさせていただきました。

たとえば

「表面的なフラット指向税制が経済成長と財政再建に効果があるという俗説は本書実証の通り世紀のガセネタであります。

 更に成熟経済大国で最高所得税率の引上げ策で経済成長と租税負担率増加を防止した証拠は多数あるが、消費税増税で成功した証拠実例は皆無です。」

のような吉越さんの痛快な語り口についつい引き込まれますよ。 まだの方はぜひ、訪れてみてください。

>>>>>
私は、あなた様のインターネットサイトに早くから取り上げてご紹介いただきました吉越勝之と申します。誠にありがたく常日頃心から感謝申し上げております。

需要側の国家の役割は、競争の中で「需要の増殖を図る税制の構築」と「需要の微調整を図る財政金融政策の発動」が国家の役割なのです。

供給側の企業の役割は、競争の中で「供給の増殖を図る為の生産性の向上」と「時代に適応した新製品の開発」が企業の役割なのです。

したがって、両者が遵守すべき「自由平等(対等)競争の絶対性原則は同一」でも、役割が需要側と供給側と全く異なるので、需要側の国家は何をなすべきか、供給側の企業は何をなすべきかは全く異なるのです。

世界中の税制動向を心配していましたが、案の定、金融危機、経済危機が全世界で同時発生してしまいました。学者の推奨による高所得者のみ有利のフラット志向税制、消費税制の世界普及により、低中所得階層の所得減少による個人消費の減少と過剰貯蓄増加の弊害(投機マネーの増加)が金融危機、経済危機の主原因なのです。

そこで新オバマ大統領が、経済学者の反対を押しのけて、この危機を大規模に改善できる最高所得税率の高い超過累進税制を採用できるか、が正念場と考えています。

超過高累進所得税制を採用し、30年50年の好景気と高度経済成長と自由平等社会を実現したルーズベルト大統領、池田首相、吉田首相、クリントン大統領は経済学部出身ではなく「全て法学部出身者であり」経済学者の反対意見をはねつけられる憲法や自然法に定められた「自由平等競争の絶対性原則の遵守」を理解できる国家指導者だったのです。

オバマ大統領も法学部出身者であり、私はすごく期待しているのですが、「民主党のレーガン」という記事を見て大変心配しています。それは、今のところオバマ新大統領から出る話は財政金融政策ばかりであり、需要を増殖できる税制の話が出てこない事が心配だからです。

成熟経済の現代企業は、需要さえあれば、いくらでも生産を増強できるのであるから、国家の需要増加の仕組みの役割は特に最重要なのです。「国民総生産」という言葉から、国家は生産の増加を最重要にすべきとの「勘違い」が生じているのかも知れません。

最後にこれからも、同じような考え方を持った税制提言仲間としてお付き合い願えれば有難く、宜しくお願い申し上げます。
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(WSのほうこそ、どうぞ宜しくお願いします)

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経済09」カテゴリの記事

コメント

池田税制を賞賛されているWSさんや吉越さんは、池田のブレーンとして高度成長の理論的バックボーンを提供した下村治の『ゼロ成長論』『経済の縮小均衡』について如何なる見解をお持ちなのでしょうか。

たしかに、『国民所得倍増計画』(1960)には「成長を維持するために直接的統制手段を強化したり、行政の繁雑化をもたらすことはさけること」という文言があり、下村の著書『日本経済成長論』(1962)のまえがきには「私は経済成長についての計画主義者ではない。読者は、あるいは本書が経済計画や所得倍増計画について何も言及していないのを奇異に感ずるかもしれない。しかし、計画主義は私の立場ではない。私の興味は計画にあるのではなくて、可能性の探求にある。だれかのつくった青写真に合わせて国民の活動を統制することではなく、国民の創造力に即して、その開発と解放の条件を検討することである」とあります。ですから、無用に消費や投資を滞らせる欧州型の制度などいらない、というWSさんや吉越さんの主張そのものに反対する気はありません。

しかし「経済から高度成長の条件が失われ、国内均衡(物価の安定、財政の均衡、投資と貯蓄の均衡、企業収益と賃金水準の均衡など)と国際均衡(国際収支の均衡)を保ちつつ経済を安定的均衡へ導くためには均衡点を下に見出さざるを得ない」とも下村は言います。
http://www.asahi-gk.co.jp/column/_pdf/ronbun.pdf

現行の消費税は無用に消費や投資を滞らせるだけだから直接税中心に切り替えるのは良いとして、果たして消費の内生的な拡大再生産だけでプラス成長に転じることは可能なのか?効率よく財政を再建できる手段に留まるのではないか?または、実質成長はマイナスでも名目成長がプラスという状態を想定しなければならないのではないか?と、いろいろ考えてしまいます。

また、1970年代後半の失業率低下の原因の特定、ならびに、現行の変動相場制・資本移動の自由・労働力移動の自由という条件下でキャピタルフライトを避けうる消費税廃止+所得税累進課税システムを提案しないと到底受け入れられないのではないでしょうか。

投稿: HM | 2009.01.16 23:56

成熟経済の国家が経済成長するために何故、超過高累進所得税単独税制が必要なのかの理論的根拠と論理証明について。

1.現在地球上では、人類は自然生態系の頂点に立つ動物とは言え、自然生態系から逃れられない存在である事は、あなた様もご存知の通りです。 
2.ゆえに人類の経済活動も自然生態系の原理原則から逃れられないのです。
3.また地球の自然生態系は自然システムと呼ばれ、進化システムであり、常に地球環境に適応し進化増殖するものが生き残る特性があります。 だから6000万年前の地球環境に適応できなかった当時の強者の史上最強の恐竜は滅び、環境に適応した当時の弱者の人類の祖先は生き残り現代で繁栄しているのです。
4.故に自然システム・進化システムの本質は「環境に適応し増殖した方が勝ち」
という基本ルールとなっており、通常自然の生態系の基本と考えられている異種間で行われる弱肉強食競争は代表性バイアスに過ぎず基本の一断面に過ぎないのです。
5.故に同一種間同士の生物に適用されるお互い殺しあわない「自由平等(対等)競争(全体が増加する)の絶対性」によって「環境に適応し増殖した方が勝ちという優しいルールが自然システム・進化ムシステムの本質」なのです。
それに比べ異種間同士は相手をエサと認識し「殺し合い食い殺した方が勝ちとする厳しい弱肉強食競争(全体が減少する)」はいかにも「競争の本質として、大部分の人間が理解しています」が、自然の生態系の本質では全くないのです。 
しかもこの弱肉強食競争原理にさえ食物連鎖原則が付随し、強者が弱者を食いすぎると自動的に強者自身がエサ不足で生き残れなくなると言う、強者の増殖を抑える食物連鎖原則の機構が付随しているのです。 この市場経済への適用が「独占禁止法」であり、アメリカで発達しました。
6.したがって国家は税収で成り立っている以上、「国家は企業と国民で行う市場経済活動を税制で徹底して厳重管理している」ので、社会制度としての税制が市場経済の「人為的地球環境」となっているので、国家の経済成長を実現するには上記1-5を事実として遵守適応した税制を構築すると経済成長が可能となるのです。 
あなた様の知る経済学へ税制を加えると「社会に進化に役立つ素晴らしい経済学」へ進化創造できます。
詳しくはwww.geocities.jp/mirai200107/ を参照してください。
経済面からは成熟した市場経済になればなるほど、自力で増殖できる、つまり自力経済成長できる「自由平等(対等)競争(全体が増加する)の絶対性」を具現化した超過高累進所得税制が必要になるのです。 この競争ルールの中には経済成長の根源となる「増殖性を発揮できる自然システム・進化システムの本質」が含まれているからです。
7.次に政治面も人類と言う同一種の自然生態系の競争原理を採用しなければ国家も進化繁栄出来ません。 実例は「自由平等(対等)競争の絶対性」を遵守して、常に国民の選択した方向へ政策を進化できる政治制度を世界で唯一実現したアメリカの政治制度が参考になります。 ポイントは政党のあり方が他国と全く異なり「政党より個人優位の政党組織」を構築したことであります。 政党に政党公認候補の公認権が無く、候補者の公認さえも国民の投票で決める「予備選挙」の存在と、国会採決に際して政党の「党議拘束」が全く無く、有権者の意志を忠実に反映する「代議士としての役割が国会議員と観念されている」為なのです。 故に国会議員の採決投票は有権者により厳重チェックされており、有権者の次回の投票行動を決定するので、議員の採決行動は誰にも政党にも影響されず良心に基づき責任を持って行わなければならない決まりなのです。 したがって難しい問題になればなるほど、A政党は全員賛成、B政党は全員反対などという議論伯仲の子供会にも劣る、金魚のウンコ的採決行動は、絶対に起こらないのです。
つまり政党の党利党略に基づく思惑などに左右されず、厳密に議員個人の良心(表現の自由)に基づく多数決になるので、国民・有権者の意志が概ね決まってくると、与野党問わず多数決で困難な問題も簡単に採決されるのです。 各国憲法も選挙民の投票の自由を認めているのに、アメリカ以外の各国は国会議員の採決の自由を憲法を捻じ曲げて理解して政党組織による候補者の公認権や党議拘束を容認し、結果として政党組織による事実上の国家支配を認めているのです。 
これこそが学者もマスコミも避けている基本的な問題点なのです。 だからこそ子供にも説明できない子供会や自治会にも劣る企業や国民の真の幸福に役立たない政党間の争いや国会の醜い争いが、起こるのです。 このようなシステムを絶対認めないアメリカは国論が分裂しているように見えても時間は掛かっても、いずれ事実が明らかになれば経済環境や政治環境に適応した国会議員の採決行動によって、必ず復元し回復し世界の超大国として君臨し続けるのです。 事実を重視せず、表面的な事象や理念観念に固執して左右されていると必ず失敗します。  これはアメリカが欧州的な理念観念の党派性を争う政治制度を建国以来排除し、自然システム・進化システムを取り入れたアメリカの適切な政治制度であり、だからこそ常に世界一であり続けるのです。 全ての発展途上国と成熟経済国家は「自由平等(対等)競争の絶対性と自国独自のその他の理念観念の相対性」の区分区別を理解し社会制度に取り入れ、正しい政治制度と、正しい税制を導入できれば、全ての発展途上国と成熟経済国家は時間は掛かっても自らの力で自力経済成長できるのであるから、基本的な部分に目をそらさず、正しい制度を再構築する努力が必要なのです。
学者とマスコミは、常に争いに巻き込まれたくないので、基本的な部分に触れようとしないため、結果として国家経営はニッチもサッチも行かなくなるのです。

あなた様をはじめ日本の若い方々のご活躍により日本国が経済成長できる国家へ改善出来ることを祈っています。

投稿: 吉越勝之 | 2009.01.18 08:30

申し訳けありません。 言い忘れてしまいましたが、税収の伸びは税制自身の性能で決まるのであるから、昭和25-44年の20年間、昭和44―63年の20年間、平成元年―20年の20年間の期間比較の税収の伸びと付随経済効果の事実を比較して素直に税制の良し悪しを議論すべきと思います。
つまり「努力する国民も企業も、どの時代でも全く不変の存在」であるため前提条件(与件)になりうるが、社会制度の「税制は可変な存在」であるため前提条件(与件)には絶対になりえないのです。

投稿: 吉越勝之 | 2009.01.18 08:52

申し訳けありません。 あなた様への肝心ご返答を忘れておりましたので次の通りご返答します。
吉越は下村治さんのゼロ成長論も経済の縮小均衡論も残念ながら読んだ事はありません。税制は池田隼人が作ったのであり、下村さんが作ったのではないからです。 いま拝見すると重要な論点は国民の創造力に即して、その開発と解放の条件を検討することである、とありますが正にそれは全く正しい見解です。 つまり経済は生物の繁殖と全く同じ原理で増殖するのであり、繁殖条件としては自由平等(対等)競争を実現する最高所得税率の高い超過累進所得税単独税制だけが重要であり、極言すればその他の条件は小さな影響力しかないのです。
昭和20年国富0の廃墟と化した日本が、昭和55年にようやく貿易赤字から脱却し、昭和63年には国富3200兆円を達成したのは、他国からの資金援助を受けたわけでは無く自力資金の自力増殖(借入金を生きた経済循環の所得資金へ変換し続けた)による自力経済成長の結果であります。
しかし「経済から高度成長の条件が失われ、国内均衡(物価の安定、財政の均衡、投資と貯蓄の均衡、企業収益と賃金水準の均衡など)と国際均衡(国際収支の均衡)を保ちつつ経済を安定的均衡へ導くためには均衡点を下に見出さざるを得ない」と下村さんは言っているそうですが、それは全く間違っています。 私は成熟経済になったからと言って人間文化の本質が変わらない以上、高度成長の条件が失われるとは全く思っていません。
もしそれが事実なら何故日本は平成2年2月からのバブル崩壊開始(平成1年4月からの人為的な税制改悪で発生した)まで経済成長が続いたのか、何故近年のクリントン政権がわずか8年で絶対不可能と言われたアメリカの財政再建を成し遂げられる程の高度経済成長を実現できたのか。 
経済は人間が行うものである以上、経済成長条件を失うのは人為的原因だけなのです。 
さて人間の欲求つまり消費意欲と意志は極めて相対的なものです。
発展途上の中国の消費生活においては、高い税制のハードルを乗り越え、国民は満たされない個人消費の増加を強烈に欲求するのです。
成熟経済に達した日本等個人消費を充足された経済社会では、わずかな税制のハードルも乗越えられないのです。(個人消費は表現の自由の一種で抑圧に弱いのです。)
これを乗り越える唯一の手段が「消費意欲が税制による抑圧に弱い特性を理解し」「消費意欲への規制抑圧を絶対に排除する自由平等(対等)競争の絶対性を遵守した税制」つまり個人消費への参加の自由(無税)の確保と、対等性向上の所得再配分機能強化の競争力均衡化税制つまり消費税廃止の高累進所得税の採用であり「これによって強者と弱者の経済的対等性が近づく人間の本性に適応した税制」によって消費性向の極端に高い低所得者層の所得が少しずつ高まるので個人消費が無限に継続的に増加し自力経済成長が自然に促進されるのです。 これによって税率は高くても高所得階層の所得も順調に増加し、株高、資産高によって更に潤います。
成長条件が失われたのはアメリカではブッシュ大統領が財政赤字なのに低累進所得税制の採用と、きちがい地味た高所得階層への減税政策を採用し意図的に国家の所得再配分機能を低下させ、国家全体の消費性向を引き下げ、国家全体の個人消費を低下させたからであり、欧州では消費税の度重なる増税と低累進所得税制の採用により国家の所得再配分機能を弱体化させ、低所得者層の高消費性向の自然活用ができず、国内個人消費の増加が抑制されていた分、EUの拡大や中国等の発展途上国への輸出に頼っていました。 しかし発展途上国でも消費税制と低累進所得税制の普及で国内で個人消費と所得を増加生産が難しい税制の仕組みを採用しています。
これらが世界的に重なったため世界的に金融危機、経済危機が同時発生しているのであり、全ては人為的原因であり、エリートの意識を税制を改善する方向へ変えることが出来れば、各国の内需拡大の自力経済成長によって、この世界的な金融危機、経済危機から脱出する事は2-3年は掛かるにしても完全に可能なのです。
変動相場制における基軸通貨特権を持つドルと基軸通貨特権を持たない円国家の本質的機能を議論をしたうえで、貿易政策を議論し、結果として「貿易収支の均衡政策で購買力平価の為替相場を実現し、輸出企業の利益確保と、極端な安値輸入による国内産業への不平等な価格競争への防止に役立つ」貿易政策が最も望ましいと考えています。 
それを実現するには強制手段ではなく国民教育つまり「貿易収支は赤字でも黒字でも望ましくない」とする教育の徹底と、輸出を大量にしたい企業は、相手国の需要の収奪に励むのではなく相手国へ直接投資をして、相手国の労働者を雇って生産して、相手国の消費者へ販売して利益を上げ相手国の経済へ貢献して、配当を得るという正しい企業理念へ変更することが、大切になります。
経済成長は「自国生産・自国消費で完全に可能であることは日米をはじめ世界各国の経済史で確認されているからであります。」
これらの考え方は正に事実に基づく「コペルニクス的転回」ですが、正に今必要なのです。 競争とは「弱肉強食競争」ではなく「自由平等(対等)競争」であり、「より多く増殖繁殖(販売)した方が勝ち」の競争こそが、市場経済競争の本質なのです。

その国民一人当たりの所得(個人消費の等価変換結果)の増殖率が経済成長なのです

投稿: 吉越勝之 | 2009.01.18 09:44

HMさん

コメントをありがとうございます。リンクして下さったPDFの論文はHMさんがお書きになったものと想像します。WSは高度成長をライブで経験したわけではなく、下村治氏の当時、および80年代の見解について、勉強させていただきました。

日本経済の状態はこの15年ほどの間にすっかり変わってしまいました。現在は、3分の1ほどの規模の「途上国」が、80年代以前の日本に類似した残り3分の2の部分に同居している状態です。WSが「成長」というときには、その「途上国」の部分を引き上げて解消することを念頭においています。

さて、論点がいくつかあるので、縮小均衡、消費税廃止の効果、第2次オイルショック時の失業率減少、キャピタルフライトの順にお答えします。

   *

「縮小均衡」を、不健全な外需(恒常的貿易赤字国への輸出)に合わせて設備投資をするのではなく、健全な外需(貿易収支均衡国への輸出)と内需に合わせて設備投資をせよ、という意味にとるなら、WSにとっても異論はありません。

ただし、その場合の「縮小」は、年々経済規模が小さくなる、ということではなくて、不健全な外需に合わせていた分が削られる、という意味です。

WSは、実質GDP成長率で3〜4%、物価上昇を加えた名目成長率で4〜5%くらいが現在の日本経済の(あるべき)自然な姿、安定成長の姿であると思っています。

日本の潜在成長率(=物価上昇を招かない1人あたり実質GDP成長率)を、インフレ率や失業率の時系列を用いてOECDなどが推計していて、だいたい、1980年代5%、1990年代4〜3%、2000年代2%だったと思います。2000年代の2%は外圧による構造改革の影響でかなり下押しされており、圧力が弱まれば3%程度であろうと考えます。

経済成長は究極的にはイノベーションが駆動するものであり、短期的・中期的な波はありますが、長期でみれば経済はまずまずのペースで成長します。明治以来100年余りの日本の実質成長率をみても、3%程度というのは妥当な数字です。

   *

消費税廃止や所得税の累進性強化により、消費性向が上がります。消費性向の向上のすさまじいパワーをみるには、ちょっと単純化しすぎかも知れませんが、次の式を眺めれば十分です。
1/(1-x) = 1 + x + x^2 + x^3 + ....
右辺の最初の1は、国内民間経済への入力(政府支出+経常収支)です。その入力は誰かの所得となり、そのうちの割合x(=消費性向)が支出されます。これが右辺の第2項。その支出xは誰かの収入となり、そのうちの割合x、つまり、最初の1を基準にすればx^2が支出されます。これが右辺第3項。そうやって無限の波及がおき、そのトータルの結果(出力)は左辺の分数式と同じです。

消費性向が70%なら、波及の総計は1/0.3 = 3.33
消費性向が75%なら、波及の総計は1/0.25 = 4.00

つまり、消費性向が5%向上するだけで、波及の総計すなわちGDPは20%も増えます。それにともなって税収も約20%増えます(実際には輸入による購買力の流出とか、金利上昇や円高による輸出減少があるので、15%くらいかも知れませんが…)。財政収支は劇的に改善します。実質マイナス成長で物価上昇だけ起こる、などということは全く考えられません。

消費性向を向上させる手段は所得再分配の強化です。これは、格差拡大の弊害がさまざまに指摘される現状からみても、現在、もっとも必要とされている政策だと思います。

   *

第2次オイルショック時の失業率の小幅減少はおそらく、適度な物価上昇(5%/年)が企業の賃金負担を実質的に軽減し、その余力が設備投資の復活につながり、新規雇用を生んだからではないでしょうか。円安による輸出の増加にも助けられたのでしょう。
(念のためですけど、労働分配率の上昇と、消費性向の向上は、違う概念です。)

   *

キャピタルフライトについて。消費税を廃止して所得税の累進性を強化すると、キャピタルフライトが起こるのでしょうか。むしろ、クリントン政権時の米国のように経済が成長するので、資本は逃げるどころか、入ってくるのではないでしょうか。

   *

最後に政策を論じる際の前提について。「現行の変動相場制・資本移動の自由・労働力移動の自由という条件下でキャピタルフライトを避けうる・・・」のところですが、WSは、これらを無条件で従わなければならない前提条件とは思っていません。これらはニクソンショックと1980年代のレーガン、サッチャー、中曽根以降の市場原理主義の人たちが「自らの勝手な都合」で、この30年間、世界に押しつけてきたルールに過ぎないのでは? これらのルールを前提とする限り、各国の9割の人々の福祉が向上することはありません。

現行の制度であるという理由で、こんなものを与件として仮定せよ、と主張することは、人間は一生、ミルクだけで暮らさなければならない、と主張することと同じです。みんな、赤ん坊の時にはミルクだけで生きていたわけですから。(ちなみにこれは英国からの独立を説いたときのトーマス・ペインの言葉です。)

投機的な短期資本の国境を越えた移動や、労働力の国境を越えた移動は、全否定はしませんが、それらの大部分は当然、新たなルールに基づいて規制すべきです。そうしてはじめて各国に、税制、財政、金融政策の自由度が戻る、と考えています。

投稿: Wave of sound | 2009.01.18 14:18

吉越さん、お返事ありがとうございます。

> 税制は池田隼人が作ったのであり、下村さんが作ったのではないからです。
これは全く間違いです。経済政策の立案において池田勇人と下村治は一心同体と言え、そしてGNPが成長するごとに毎年所得税率をキメ細かく減税する作業の主任的存在がまさに下村だったからです。
下村は「経済成長は自国生産・自国消費だけで達成できる」という考えで、かつ極度の均衡主義者です。国内均衡(物価の安定、財政の均衡、投資と貯蓄の均衡、企業収益と賃金水準の均衡など)と国際均衡(国際収支の均衡)を極端に重視しています。そんな下村が『ゼロ成長論』『経済の縮小均衡』を唱えたのはエネルギー・資源の制約にぶつかっていることと財政の不均衡を根拠にしている為ですが、これを完全に論駁できれば“修正・宏池会経済思想”となります。実は、自民党内から消費税廃止論が出てこないのはここがネックとして諦められているからです。
池田勇人の右腕だった下村治のそのまた右腕だった人物で神谷克己・東北福祉大学客員教授という方がいらっしゃいます。租税の専門家で月刊国際税務という専門誌にときどき書かれます。下村の著書に記されている(1)「エネルギー・資源の制約」「財政の不均衡」が必然的に縮小均衡をもたらすという考えを完全に論駁し且つ(2)累進税率を強化したときのキャピタルフライトの懸念を完全に払拭する内容の文書を神谷氏に送られてはどうでしょう。
宏池会の最長老として、神谷氏の影響力はまだあります。(1)(2)に絞ってスキのない厳密な証明をすれば、池田税制への復帰の道は開かれるかもしれません。

私自身は個人消費と設備投資の阻害ファクターをできるかぎり取り除くという点で池田税制への復帰には賛成です。納税者番号も当然導入されるべきです。所得階層ごとに細かい消費性向を割り出して毎年税率を見直すなら尚更です。(ところで、吉越さんは旧物品税の復活には反対ですよね?)
厳格な納税者番号制度を導入しているスウェーデンは地下経済率が割と高めのようなので、入金伝票・出金伝票・振替伝票はもちろん仕入伝票・売上伝票、領収書・レシート、小切手・手形は法定(官製)のものを使わないと経費として税務署が認めないようにすればクロヨン問題はほぼ防げるのではないでしょうか。
その代わりに法人税も累進課税にしないとまずいでしょう。法人擬制説に則った累進課税の否定はもう無理があると思います。法人税のほうは(国内)投資性向を考慮した累進率にするのがよさそうです。有価証券・不動産などはバブルを誘発しやすく、また対外投資に特典を与え過ぎてはまずいので、国内の設備投資と国内の従業員給与・従業員数を中心に法人課税の累進制度を考えていけば良いでしょう。

ところで吉越さんは、固定資産税の累進課税についてはどのようにお考えでしょうか。
市町村の安定財源に固定資産税を充てるのは良いことだと思うのですが、不動産という大都市圏と地方・都市と農村で収益性が極端に異なるものに原則として一律で課税したら、地方・農村の財政力がはじめから弱まるのは当然だと思うのです。そもそも固定資産税がフラット税制だから東京一極集中が止まらないのではないでしょうか。
フラット税制ならフリードマンの唱えた「負の所得税」のような所得移転が必要になります。しかし大都市圏・都市の固定資産税から引き剥がすわけにはまいりませんから、交付金による財政調整や手厚い補助金で補充しないといけません。しかしこの手法は大都市圏・都市の不満がたまりにたまっています。
代わりに、まず現在バラバラな地価公示価格・都道府県基準地価格・相続税等評価額(路線価)・固定資産税評価額(路線価)の評価方法を一本化します。名目GDPと地価総額(収益還元価格と取引事例価格の2種類を算出します)を見比べ、土地の収益性ごとに累進課税を行う。原則的に収益還元価格を基に課税するが、取引事例価格があまりに上昇(不動産バブル)したら両価格を少しづつ按分して超過課税しバブルを引き締め、差額は基金に組み入れて来たるべき景気減速に備えることとします。
大都市圏・都市の固定資産税率を上げて地方・農村の固定資産税率を下げれば、大都市圏の工場・大学立地規制などしなくても地方分散が促されます。全国市町村の固定資産税は中央に一度集めて再配分するため大都市圏・都市への還元はマイナスで地方・農村への還元はプラスとなってしまいますが、そのかわり交付金の財政調整の程度はゆるくなります。何よりも地方・農村の固定資産税率を下げることで自然に資本の地方分散が促されますから、中央からの持ち出しに頼る土建依存経済から脱し地場産業の発達が促されます。

それとも、所得への累進課税が消費性向を最大化するのとは違い不動産への累進課税は逆効果になる恐れがあるのでしょうか。

投稿: HM | 2009.01.18 15:55

WSさん お返事ありがとうございます。

>最後に政策を論じる際の前提について。(略)これらを無条件で従わなければならない前提条件とは思っていません。

これは事実解明的分析と規範的分析をまぜこぜにした考えではないでしょうか。「各国の9割の人々の福祉を向上させるべき」というご意見に異論はありません。しかし「現行の制度であるという理由で、こんなものを与件として仮定せよというのは暴論だ!!」と憤ったところで、現行の変動相場制・資本移動の自由・労働力移動の自由という原則が見直されるわけではありません。新たなルールに基づいた規制を国際的に訴えることとは別に、外圧が継続するという悪条件を想定し、現行の制度下でもWSさんや吉越さんの政策が耐えうることを証明できないと国内の政策の転換に向けた説得力は出ません。
つまり規範的分析とは別に、事実解明的分析によって「消費税を廃止して所得税の累進性を強化すると、キャピタルフライトが起こるのか。むしろ、クリントン政権時の米国のように経済が成長し、資本は逃げるどころか、入ってくるのではないか」ということを証明したほうが良いと思うのです。基軸通貨発行国か否かという条件差を加味しても上記の仮説が成り立つということを証明できれば、「変動相場制・資本移動の自由・労働力移動の自由という悪条件の下でも消費税廃止・所得税累進強化により経済成長が可能となる」という黄金律を導き出すことができます。

なお、1970年代後半の失業率云々については説明不足でした。
http://waveofsound.air-nifty.com/./photos/uncategorized/2008/07/08/us_income_tax.png
http://waveofsound.air-nifty.com/./photos/uncategorized/2008/07/09/japan_income_tax.png
このグラフの1980年以降を隠すと「所得税の累進がきつすぎるからカネの巡りが悪くなって失業率も上がるんだ」という声が強まった時代背景が想像しやすいかと思います。フィリップス曲線をめぐる議論が盛んになった時代ですね。もし30年前(1979年)にタイムスリップできたとして、このとき「所得税の累進をさらにきつくするべきだった」のか、または「別のことを為すべきだった」のか?ということを研究しておく必要あるのでは、と考えるのです。

投稿: HM | 2009.01.18 16:54

HMさん、WSです。
いろいろと考えるきっかけを提示をしていただき、ありがとうございます。

規範的分析とは別に、冷静な事実解明的分析が必要とのご指摘。その通りかも知れません。少し考えてみました。

池田税制の復活で内需が盛りあがれば、国内に魅力的な投資先ができるから、資本流出などおきるはずがない、というのがWSの考えです。これを直接、消費性向と個人消費の関係、個人消費と民間投資の関係、海外との金利差、資本の流出・流入などの関係をモデル化して、パラメータを推定して証明するのは、少し時間がかかりそうです。いずれやってみたいとは思っていますが、ここでは、データの素朴な観察をもとに論じてみます。

近年の日本の資本収支を見ますと、だいだい毎年、10兆円から20兆円の資本流出となっています。流出の多い年は貿易収支の黒字が多く、逆に、流出の少ない年は貿易収支の黒字が少ない年です。つまり、経済が外需に依存する体質のときには資本が流出し、逆に内需が活発で輸入が増えると、資本の流出は減っています。

こうした関係は、次の恒等式からもわかります。

資本収支の赤字 = 貿易サービス収支の黒字(1) + 所得収支の黒字(2) ー 外貨準備の増加(3)

このうち、第2項の所得収支は海外資産から得られる配当などで、景気変動はほとんどなく、海外純資産の増加にあわせて年1兆円のペースで増えています。そこで第1項と第3項に注目します。

外貨準備(3)は、急激な円高進行を阻止するためのドル買い介入で積み上がるものです。それゆえ、貿易収支の黒字(1)と大きな関係があります。データからみて、長期的には、貿易サービス収支の黒字のおよそ半分が、外貨準備の増加になると考えてよさそうです。そこで次の関係式が得られます(下に記したのは2007年の数字)。

資本収支の赤字 ≒ 1/2 × 貿易サービス収支の黒字 + 所得収支の黒字
(22.5兆 ≒ 1/2 × 9.8兆 + 16.3兆)

内需が盛りあがって輸入が増え、貿易収支の黒字が減ると、資本流出も減る、という関係が確かに読みとれます。(右辺第1項の前についている1/2という係数は、近年の外圧による値であり、外圧が変化すれば変わり得ます)

資本流出(資本収支の赤字)は、いいかえると、海外への投資ですから、海外という銀行に貯金するようなものです。将来、利息(配当)が受け取れます。なので必ずしも、悪いことではありません。しかし、これまでひたすら働いて、国内で使わずに、海外資産と外貨準備を積み上げてきたのだから、これからはもう少し、国内にお金を回すようにしたらどうか、と思うのです。それで内需が盛りあがって輸入が増えて、貿易黒字がゼロになっても、まだ、海外資産から上がる利益が年16兆円もあるわけだから、何も心配する必要はありません。

その、国内に回したお金をさらに効率よく高速回転させる手段が高累進所得税制であり、回転を阻害し、さらには海外へと漏らしてしまう税制が消費税である、と考えています。

以上で「変動相場制・資本移動の自由・労働力移動の自由という悪条件の下でも消費税廃止・所得税累進強化により経済成長が可能となる」のうち、「変動相場制・資本移動の自由」のほうについて、部分的な回答を示しました。

「労働力移動の自由」については、外圧がそれほど強くなく、日本語という壁もあるので、それほど大きな悪条件ではないように想像しますが、甘いでしょうか。

   *

1970年代後半あたりの検証が重要であるとのご指摘ですが、その通りだと思います。ニクソン&オイルショック後、労働分配率が上がり、経営者の取り分が落ち、失業率が上昇しました。これは、円高ドル安による輸出競争力の低下とエネルギー価格の上昇の影響が大きく、高所得層の所得税率の高さが原因ではないと思います。むしろ、高累進所得税制のおかげで、世界で一番早く不況から脱出したのだ、と考えますが、それを説得力のある形で示せないかどうか、考えてみようと思います。

投稿: Wave of sound | 2009.01.21 00:31

WSさん、HMです。
私もいろいろと考えました。ありがとうございます。

「規範的分析とは別に、冷静な事実解明的分析が必要では」と書いた私ですが、米オバマ政権は所得税最高税率を上げると明言しています。ですので日本の側でも所得税最高税率を上げやすい国際的環境は整ってくるでしょう。ただ米国の所得税最高税率にいちいち日本の所得税最高税率が振り回されてはたまったものではありませんし、民主党政権は伝統的に対日圧力をかけると言われています。「変動相場制・資本移動の自由(・労働力移動の自由)という悪条件の下でも消費税廃止・所得税累進強化により経済成長が可能となる」という黄金律をぜひとも実証したい。

で、個人的には所得税最高税率を上げても内需が盛りあがれば国内に魅力的な投資先ができるから、資本流出などおきるはずがない、というご意見には賛成です。これはあくまで直感なのですけどある意味当たり前で、内需が冷え込んでいる市場には国内投資家も海外投資家も魅力を感じないのです。配当をむりやり増やして株価は上がりましたが、乾いた雑巾をさらに絞り身を削って配当を増やしたために伸び悩む結果に終わっています(株式市場を活性化するには、銀行による株式の保有を原則として禁止しないと持ち合い解消にはならないと思います。ステークホルダー重視で行きたいなら役員持株会、従業員持株会、取引先持株会の持分を大きく増やせば乗っ取りを防げますし配当もとりあえず受け取れます。ストックオプションは邪道の気がしますがこれなら王道でしょう)。

しかし、米オバマ政権が所得税最高税率を引き上げたら、対する日本の側でさっそく「所得税最高税率をもっと引き下げて富裕層を呼び込め」と言い出す連中が出てくるでしょう。私はこれが心配なのです。

消費性向と個人消費の関係、個人消費と民間投資の関係、海外との金利差、資本の流出・流入などの関係のモデル化、パラメータの推定⇒証明には少し時間がかかるとの事ですが、経済学は最大多数の最大幸福を目指し、外部性や地下経済まで包括したサイエンスです。ぜひ、お願いします。

因みに「経済物理学」で今、話題になっているトピックスは主に

1 ゆらぎを考慮すると需要と供給の均衡を外す戦略を取る方が有利である
2 企業の所得や資産の変動に普遍的なスケーリング則が成立している
3 株や為替の変動が相転移の臨界的振舞を示し、フラクタル的な性質を持つ変動をしている

の3つだそうです。
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~aruka/public_html/990918abstract.htm

所得の再分配については、少なくとも色々なスケーリング則を見出していく事ができれば、客観的な実証には至ると思います(「ゆらぎを考慮すると需要と供給の均衡を外す戦略を取る方が有利」というのはよくわかりませんが、需要と供給の均衡を原則としつつ+αとしてゆらぎを加味すると良い、ということなのではと勝手に想像しています)。

ところで、WSさんや吉越さんの「消費性向の最大化と投資性向の最大化、および互いの相乗による成長の最大化」というご意見を拝見して、ふと思ったことがあります。「所得が低いほど消費性向が高い/貯蓄性向が低い、所得が高いほど消費性向が低い/貯蓄性向が高い、という傾向がある。だから消費性向の高さに反比例して累進税率を上げれば消費性向が最大化する」というのは非常に合理的です。しかしミクロでは消費性向・貯蓄性向の高い低いに個人差があることもまた事実です。すなわち「消費性向を最大化させたいなら、たとえば国内で一年度内に数億円稼いだ者が(海外ではなく)国内で年度内に消費や投資で使い切ったにもかかわらず、累進課税で持っていくのはいかがなものか」という意見が出てくる可能性があるのです。これは高所得層によくありがちな素朴な不満ですし、いわゆる新古典派のトリクルダウン仮説はこうした意見を基にしています。

あくまで私の直感ですが、高所得層に消費控除・投資控除(いずれも国内での消費・投資に限る)を認めても「所得が低いほど消費性向が高い/貯蓄性向が低い、所得が高いほど消費性向が低い/貯蓄性向が高い」という全体的な傾向は変わらないでしょう。高所得者の中で消費性向の高い者はあくまで例外のまま、と思われます。ならば累進課税としつつ高所得層には国内での消費・投資を控除して更に消費性向(と投資性向)の最大化を促し、且つ高所得層の分断とガス抜きを図ってもよいのではないか?と、ふと思ったのです。

因みに高所得層の消費控除・投資控除を認めるとしたらネガティブリストによる歯止めをかけるべきでしょう。対象は不動産、有価証券、そして美術品です。不動産・有価証券はバブルを誘発しやすく、美術品は適正価格が定まらず脱税の温床になりやすいですから。不動産は収益還元価格(理論価)に対する取引価格(時価)の倍率に比例して控除率を減らし、有価証券は株式ならPBRに比例して控除率を減らすなどすればバブルの誘発は避けられるでしょう(逆にこうすれば非上場企業、特に中小企業への出資が促されます)。銀行への預金は利息がつきますから手堅ーーーい投資であり、タンス預金を避けるためにも投資控除の対象にしてよいかもしれません。ただ過剰貯蓄はまずいので過剰貯蓄になるほど控除率を下げたらいいかもしれません。

資本収支の赤字 = 経常収支の黒字(貿易・サービス収支の黒字 + 所得収支の黒字) - 外貨準備の増加 の恒等式については少し気になることがあります。米国が直接税中心主義により消費性向を最大化させているのはWSさんや吉越さんが常々主張していることですが、米国は貿易収支の大幅な赤字(+所得収支の微々たる黒字)による経常収支の赤字が年々膨らんだにも関わらず「資本収支が黒字ならいいや、だから強いドルを」と、家計の過剰債務を伴う過剰消費を放置し、産業空洞化+(大国モデルにもかかわらず)金融への過剰依存を引き起こしたあげく遂に失速してしてしまいました。今の時点で日本の過剰消費を心配するのは夢物語、取らぬ狸の皮算用ですけど(笑)、あらゆる最悪のケースを想定するならば貿易収支の赤字に伴う消費の効率的な制御のメソッドを予め考えておく必要があるとHMは考えるのです。付加価値税(消費税)による制御は単なる市場の非効率を生むだけっぽいので、債務に比例した累進税率のかさ上げや投資控除(もちろん国内に限ります)の拡大などが考えられます。

これは1970年代後半の失業率の上昇とも少し関係しそうです。日本がオイルショックからの脱出が早かったのはご存知だと思いますが、海外は物価に比例した賃上げを認めたことで苦しんだことに対し、日本は物価が上昇しようとも労働生産性が上昇しなければ賃上げしてはマズい、という考えで臨み賃上げは抑えられました。そのため物価の上昇が企業の賃金負担を実質的に軽減し、その余力が設備投資の復活につながり、新規雇用を生んだ、と言われます。つまりWSさんの推理は通説とドンピシャです。ならば、仮に賃上げがされようとも労働生産性が上昇していなければ所得税の税率をいじって増税し(実質ベアゼロ)、増税した分を法人減税に回し、この減税分は(国内の)設備投資や給与総額・従業員総数に重点を置いて加算した控除枠拡大に回せばいいのでは?という仮説が成り立つのではと考えています。ただ、労働生産性が下降したときに実質ベアダウンとなる増税については、賃金の下方硬直性の問題をクリアできるものの消費マインドにどう影響するかが読めないので悩みます。

投稿: HM | 2009.01.21 04:44

HMです。↑の補足です。

>所得が低いほど消費性向が高く、所得が高いほど消費性向が低い。高所得者の中で消費性向の高い者はあくまで例外のまま、と思われる。ならば累進課税としつつ高所得層には国内での消費・投資を控除して更に消費性向(と投資性向)の最大化を促せばよいのでは?

という趣旨のことを私は書きました。WSさんも基本的には「所得が低いほど消費性向が高く、所得が高いほど消費性向が低い」ということを前提に累進課税を支持されているのだと思います。
http://waveofsound.air-nifty.com/blog/2008/07/post_1fea.html

しかしアメリカは違うようです。所得が低かろうと高かろうと消費性向が高く、しかも高所得者ほど微妙に消費性向が高いのだそうです・・・

アメリカ人の消費性向が高いのは高額所得者すら貯蓄しないから
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=77145

これはケインズ派と新古典派の最大の争点、つまり消費関数がケインズ型(所得が低いほど消費性向が高く、所得が高いほど消費性向が低い:ケインズ派の立場)かクズネッツ型(所得が低かろうと高かろうと消費性向は一律:新古典派の立場)かという問題を色濃く映します。日本の消費関数はケインズ型、アメリカの消費関数はクズネッツ型だということが言えます(アメリカも短期ではケインズ型だそうです)。

となると、アメリカはほぼ一律に消費性向が高いのなら所得税も一律にすればいいではないか、という考えが出てくるのは必定です。低所得者から高所得者まで消費性向が高止まりしているのに、高所得者から累進課税で削り取ったら全体の消費を削り取ることになるではないか、全体の消費を最大化するには所属税率を一律にするか、またはせめて累進税率を下げたほうがより効果的ではないか、と。

・・・でも結果はご存知の通りです。

低所得者から高所得者まで消費性向が高止まりなアメリカでさえきつい累進課税を行っていた頃のほうが経済的・社会的パフォーマンスは良かったようですから、累進税率の最適解はどうすれば求められるのか。所得階層別の消費性向とは別のもの(たとえばジニ係数など)から得られるのか、又は所得階層別の消費性向に債務の対年収比などを加味すればいいのか、又は低所得者~中所得者の収入と物価の関係において上方移動性が確保されるように(一律課税→)累進課税へとスライドさせて理論値を求めれば得られるのか?ということも検討する必要がありそうです。

普通の感覚では「低所得者ほど収入の多くが消費にまわり、貯蓄はリスクに備えた必要なものとなる」「高所得者ほど収入の多くが消費で使い切れず、貯蓄は自然に嫌でもできてしまう」というケインズ型消費関数はしっくりいきます。

アメリカがクズネッツ型消費関数なのはなぜなのか?ジニ係数が開きトリクルダウン効果が起きていなかったのだから実は「消費」の内訳にトリックがあるのか?・・・謎は尽きません。

投稿: HM | 2009.01.23 08:03

HMさん、WSです。
コメントをありがとうございます。いろいろデータを調べていて、お返事が遅くなりました。

累進課税の最適解を求める、というのは大事なテーマですね。考えてみたいです。

   *

一般に、日本などで、消費性向が横断面ではケインズ型(所得の減少関数)、長期ではクズネッツ型(定数)になるのは、各家計の所得が変化していること(年功序列的に所得が単調に増える場合や、あるいは、ある程度の所得を得たり、ほとんど所得がゼロになったりを繰り返している場合など)と、消費の習慣性が効いているのだと思います(*1)。

   *

米国では高所得層のほうが消費性向が高い件ですが、少しデータを調べてみました。まず、税引き前の収入に対する消費性向をみると、高所得層ほど低くなっています。(http://www.bls.gov/cex/csxann06.pdfのtable1)

税引き前の年収(単位は100ドル)に対する消費性向(2006年)

5分位  平均年収 消費支出 消費性向
0%〜20% 99.7 204.1 205%
20%〜40% 266.6 302.2 113%
40%〜60% 449.3 414.3 92.2%
60%〜80% 709.8 557.0 78.5%
80%〜100% 1499.6 941.5 62.8%

税引き後の年収に対するデータを探しているのですが、まだ見つけられません。そこで、教えていただいたFRBのレポートの消費性向の値を仮定して実効税率を逆算し、不自然でないかどうかを調べることにします。

可処分所得に対する消費性向が仮に、ご紹介いただいたFRB:Maki&PalumboのTable2、2000年(http://www.federalreserve.gov/pubs/feds/2001/200121/200121pap.pdf)の個人のものと同じだと仮定して、低所得側から順に92.9%、92.6%、97.1%、97.4%、102.1%だとします。

すると、実効税率が計算できて、低所得側から順に-121%、-22%、5.0%、19.4%、39.5%となります。実効税率は40%以下でそれほど高くなく、所得税の低い限界税率35%と整合的です。どうも、米国の高所得層の消費性向の高さはホンモノのようです。

低所得側が大きなマイナス税率になっているので、結果として急激な累進所得税制になっています。意外にも、米国の社会保障は手厚いのですね。年収267万円でマイナス22%の所得税率とは驚きました(1ドル=100円で換算)。

米国の消費性向が高いのは、社会保障給付で低所得層の所得を底上げしていることと、高所得層が可処分所得をほぼ全額使ってしまう(!)ためであることがわかります。後者は、日本の常識(高所得層ほど収入の多くの割合を貯蓄して、消費にあまり回さない)からは、想像できないですね。昔は米国も、日本より貯蓄率が低いとはいえ、日本に似た状態だったのが、1980年代半ばごろから徐々に変わってきたらしい(上記のpdfのfigure2)。

高所得層の消費性向が高いのは、資産効果と借金が原因と考えられているようです。ふつう、家計消費は可処分所得に比例すると考えます。しかし、資産が多い場合(米国の場合、純資産が可処分所得の6.7倍)、資産に比例して増える分も考え、さらにここ数年は、住宅価格や株価などの値上がり分を担保に借金して消費する分(過剰消費)もあったらしい。全米の家計の合計を考えた場合

家計消費 = 0.65 × 可処分所得 + 0.052 × 純資産 + 過剰消費

のような式が成り立つようです。せまい意味での消費性向は0.65、資産効果による増加分が0.35(=0.052×6.7)で、借金による消費でさらに0.04ほど消費性向がかさ上げされているとのこと。(http://www.sumitomotrust.co.jp/RES/research/PDF2/663_2.pdf 図5)

ただ、この「消費」には、たとえば高所得層(80〜100%)の場合、私的な保険料(年金や医療など)が月10万円分くらい含まれていたりします。単純に、米国人はキリギリスで日本人はアリ、という図式だけで捉えてよいのかどうか、もう少し調べてみる必要がありそうです。

   *

で、はじめに戻って、近年の米国の消費性向が横断面でもクズネッツ型になる理由の推測ですが、可処分所得の大きな家計ほど、資産効果や過剰消費による消費性向の押し上げ効果が大きいためと思われます。もし、資産一定の条件で家計を抽出して消費性向を調べることができれば、おそらく、所得に対して減少関数(ケインズ型)になっているのではないでしょうか。

一方、可処分所得一定の条件で家計を抽出して消費性向を調べることができれば、純資産に対しては増加関数になっているはずです。(←この部分、逆になっていたので訂正しました。1/27追記)

高所得層の資産は、所得に比例するのではなく、それ以上に急激に増えるので、消費性向の減少性が隠れてしまってクズネッツ型に見えるのでしょう。(上記のpdfによると2000年時点で、純資産の可処分所得に対する倍率は、低所得側から順に、5.1倍、4.1倍、3.6倍、4.2倍、8.7倍です)

もしそうなら、見かけの消費性向がクズネッツ型であっても、所得税について(資産税についても)、税率の累進構造を強化して再分配を行うことが、消費の最大化につながります。この解釈は、クリントン税制で景気が拡大した経験にも一致しています。

   *

日本の場合、民間投資については、WSは、主に家計消費(+外需)とその増減によって決まる(加速度原理)と考えているので、消費の最大化が投資の最大化につながると考えます。もちろん、近視眼的な投資が増えると経済システムの安定が損なわれるので、景気に左右されない、長期的視野に立った国内投資を優遇する税制が望ましいと思います。

これに関連して、従業員持株会などステークホルダの持ち株比率の上昇を促進することには賛成です。

   *

所得分布には関心をもっていて、こんなグラフ(http://waveofsound.air-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/01/09/family_distri.png)を作ったりしています。上位5%ほどを除けば、所得分布はほぼ対数正規分布になるようです。上位5%くらいの高所得層は対数正規分布から上方へずれて、べき分布(スケール不変)になるようだ、と高安秀樹さんの本(フラクタルか、経済物理の本)にのっていた記憶があります。

   *

消費の最大化を所得税の累進性強化の根拠とする場合、可処分所得で決まる平均的な消費性向に較べて、たくさん消費する人が不満を持たないか、という点。ネガティブリストによる歯止めつきの消費・投資に対する控除、という発想は、累進性強化時のまさつを減らす方法としては面白いですね。しかし、やはりそれは従で、基本的には、衣・食・住・医・学などにかかわる家族負担の差異に応じたポジティブリストによる控除を主にしなければならないと思います。これ以外の控除を認めると、投機的支出が増えて、いずれしっぺ返しがくるのではないか、と心配になります。

最近の(家族単位の)控除の縮小傾向と、個人単位の課税の流れには、賛成できません。 シャウプ勧告が述べているように、累進所得税は個人単位ではなく、家族単位の課税という概念と不可分であるように思います。 WSの考え方は古いのでしょうか。

個人主義というイメージのある米国ですが、2006年のデータを見ますと、家計に対する所得税の実効税率は次のようになっています。収入が同じでも家族負担の差異に応じて実効税率がかなり違っています。

ソースはOECD Stat Extracts (http://stats.oecd.org/WBOS/index.aspx)のTaxationの項目で、税は、連邦と州の所得税に、強制的に徴収される社会保険料、雇用保険料を合わせたもの。ただし、雇い主の負担分は含まないものです。

家計のタイプ
A. 単身、子供2人、平均年収の67% 
B. 単身、子供なし、平均年収の67%
C. 単身、子供なし、平均年収の100%
D. 単身、子供なし、平均年収の167%
E. 夫婦、働き手1人、子供2人、平均年収の100%
F. 夫婦、共働き、子供2人、平均年収の100%+33%
G. 夫婦、共働き、子供2人、平均年収の100%+67%
H. 夫婦、共働き、子供なし、平均年収の100%+33%

家計 給与収入 税引き後の収入 税率
A. 262.5 263.3 -0.3%
B. 262.5 204.6 22.0%
C. 393.8 297.7 24.4%
D. 656.3 458.0 30.2%
E. 393.8 349.0 11.4%
F. 525.0 442.3 15.8%
G. 656.3 535.6 18.4%
H. 525.0 409.1 22.1%

   *

では。

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*注1)横断面ではケインズ型の消費関数が、長期ではクズネッツ型になる理由を、式で説明しますと

ある時点tで可処分所得yの家計の平均消費支出がcとすると、近似的に直線関係
c = a(t) y + b(t)
が成り立ちます(ケインズ型)。ここで切片b(t)と傾きa(t)は時点tによって違っても構いません。

これを、すべての家計について足し合わせると、国全体での可処分所得Y(t)と消費支出C(t)の関係
C(t) = a(t) Y(t) + N b(t)
が得られます。(Nは家計の数)

さて、b(t)は所得ゼロの家計の消費支出ですが、この支出は以前の収入からくるか、借金から来るしかありません。消費の習慣性などを考えると、いずれの場合も仮想支出の和N b(t)は、前年や前々年の可処分所得の和Y(t-1)やY(t-2)などにほぼ比例すると考えていいでしょう。Y(t-1), Y(t-2) などは、ほぼ今年の可処分所得の和Y(t)に等しいので、仮に、比例係数をdとして
N b(t) = d Y(t)
なる関係があるとすれば、
C(t) = (a(t) + d) Y(t)
が得られます。限界消費性向a(t)がほとんど時間変化しないなら、これはクズネッツ型の長期消費関数です。

投稿: Wave of sound | 2009.01.25 22:34

WSさん、HMです。
本当にお疲れ様です。

個人所得がスケーリング則に従うことはヴィルフレド・パレートが遥か昔に気づきパレートの法則として知られますが、同じくパレートが唱えたパレート最適
については所得再分配・市場の失敗と共に語られるに際し「完全競争市場の下では、一律課税こそが最適課税である」とされてきました。しかし社会構造のあちこちに現れるスケーリング則が硬直性や二極分解と不可分の関係にあるなら、最適資源配分の新たな関数を導出しないとまずそうです。


アメリカの消費関数に関する謎が解けたら、経済学会の学術誌に投稿されたらどうでしょうか。

消費関数についての説は相対所得仮説(1949年:ジェームズ・デューゼンベリー、デモンストレーション効果とも)、流動資産仮説(1951年:ジェームズ・トービン)、ライフサイクル仮説(1954年:フランコ・モディリアーニ、リチャード・ブランバーグ)、恒常所得仮説(1957年:ミルトン・フリードマン)…と、決着がついていません。

①米国の消費性向が横断面でもクズネッツ型になる理由は、高所得層の資産効果が巨大すぎるせいで消費性向の減少性が隠れてしまうからである

②社会保障を考慮すれば、所得税の実効税率は低所得層ほど大幅なマイナスとなり、実質は急激な累進課税である

この2つを証明できれば、ケインズ型が原型・クズネッツ型は資産効果による特殊型、ということが証明できます(トービンの流動資産仮説はWSさんの仮説に近いのですが、実証性で新古典派に及ばなかったようです)。新古典派が意気消沈している今こそ、発表するにあたり絶好の時期でしょう。

>昔は米国も、日本より貯蓄率が低いとはいえ、日本に似た状態だったのが、1980年代半ばごろから徐々に変わってきたらしい(上記のpdfのfigure2)。

米国では高所得層が可処分所得をほぼ全額使ってしまい、低所得者は社会保障という形で大幅なリターンを得ている。では、足りないお金はどこから沸いてくるのか?というと、ロングスパンの経常収支比率と部門別の貯蓄・投資(IS)バランスを見れば一発でわかります。
http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2006/2006honbun/image/i3420000.png
http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2007/2007honbun/image/i1214000.png

1980年代半ばごろから経常収支の累積赤字が目立っていくのがわかります。米国は基軸通貨発行国ですから外貨準備はほとんどありません。つまり経常収支の累積赤字に反比例して、資本収支の累積黒字となって行った。

1990年代後半からは、大雑把には政府部門も家計部門も投資超過、つまり赤字になっていくという流れです。1998年だけは政府部門のISバランスが均衡し、家計部門がやや貯蓄超過、企業部門が大きな投資超過という良い状況だったようですが・・・

ここ数年間は貯蓄率の低下に反比例して地価が上がるという状況であったようです。

つまり、資産価値の膨張や多額の借金は資本収支の大幅黒字により成り立っていた訳です。裏を返せば経常黒字なら消費性向が横断面でもクズネッツ型になることはないのかもしれません。これは、米国が経常黒字を出していた頃まで遡ればハッキリしそうです。

アウタルキー(自給自足経済)や保護貿易とは無関係に、経常収支の均衡と貿易収支の均衡は心がけたほうが良いようですね。


所得税の控除は基本的には衣・食・住・医・学などにかかわる家族負担の差異に応じたポジティブリストによる控除を主にしなければならない、というお考えはその通りだと思います。考え方が古いなんてことは決してありません。因みに新古典派の総帥であるミルトン・フリードマンは意外にも「社会の最小単位は家族である。個人ではない」と述べています。

家族単位の課税にするのは別の側面からも要ります。たとえば少子高齢化対策のために扶養控除を多めにすることが考えられますが、配偶者控除も多めにしないと税制が家族解体を促しかねません。離婚者や母子家庭にペナルティーを課す形はまずいですが、しかし結婚している夫婦の家族にはそれなりの加算をしないといけないでしょう。

老齢年金も子どもの数に比例して加算したらよいかもしれません。社会保障のなかった頃は子、そして孫が多いことが安定した老後を保証しました。しかし今は老齢年金のおかげで子、孫がいなくても給付金を受け取れるため、反作用的に少子高齢化を招いているのでは?という声があります。この事は社会保障の根幹にかかわるため世界中でタブー扱いされてるようですが、社会の持続性のためには制度をイジる必要が出てくると思います。


なお「投機」というものについてですが、マンデルブロやソロスの本を読んで思ったのは「物価は一物一価ではなく、①名目時価 ②実質時価 ③理論原価 の一物三価なのではないか?」という事です。①名目時価 ②実質時価 は不動産・有価証券で言えば①は売買されている価格、②は利益率から逆算した価格です。

ソロスは再帰性という概念を用いて「再帰性はいろいろなところで見られる。①と②がそれほど乖離していなければそれは問題視しなくて良い再帰性だが、①と②が激しく乖離していくと、所詮は将来予測のカタマリにすぎない①が②を引っ張って、そして乖離が何らかの臨界点に達すると①の信用膨張が弾けてしまい②も連られて叩き落とされる」と説明しています。

①と②の乖離がそこここで起きるとスクラム現象を起こし、バブルとなる訳ですね。たしかにバブル景気のころは東京の地代・家賃が割高でしたが、地価はその割高な地代・家賃に対しても利回りが異常に低い・すなわち暴騰していました。

個人的な考えですが、バブルを生みやすい不動産・有価証券は出来るだけ②を精密測定できるようにし、①が乖離したらしただけ保有税や取引税を割増していけば解決できるような気がします。この仕組み自体が乖離を抑え、乖離が止まらないときは割増額が基金に積み立てられ下落局面で公的資金注入や株価PKOに使われるビルトイン・スタビライザーとして機能する訳です。

マクロ経済の根幹までは影響しない、その他の業界の局地的バブルは放っとくしかないでしょうね・・・資本主義そのものがバブルを内包してますから・・・ただ、償却資産の売値による時価の精密測定や清算価値の精密測定をして、代わりに強制加入の商工保険などの制度で倒産リスクを分散し与信を与えれば、市場への新規参入者は増え且つ破産による市場からの退場も速やかに行えると思います。

では。

投稿: HM | 2009.01.26 08:12

HMさんへ
  景気回復と経済成長のために黄金律としての均衡思想の重要性について
私の仕事の業務繁忙期に入った為、ご返事が遅れて誠に申し訳けありません。
私の考えに対して色々の示唆を寄せて頂いたHMさんのご期待に添えるべく疑問に誠実に正直にご返事するように努力していますが、何分時間が無く、下記は十分とはいえませんが、今現在の私が考えうる最新のアイデアを加えたご返事を致します。   その中には高所得者層の異常に高い消費性向(逆に貯蓄性向が低い)のアメリカについても、経済成長にとって高累進所得税制が有効である説明も加えました。結局税制問題は固い考え方を持つ「理念優先のエリート」と、柔らかい考え方を持つ「事実優先の国民大衆」の考え方の差異と思っています。 市場経済では「結果事実が全てであり」そして「結果事実の前には、必ず原因事実が存在するのです。」
「原因事実と結果事実を結び付ける因果関係の発見が正に科学」であり事実を詳細に調査すること無く、経済モデルに依存すると因果関係を発見できません。
景気回復の結果事実をもたらす原因事実が「消費税無しの最高所得税率の高い超過累進所得税制」である事を事実としての因果関係から私は主張しているのです。   そして市場経済は結局「競争の世界」であるので、競争力の強い強者が勝つのは当たり前であり、競争力の弱い弱者が負けるのは当たり前であり、だからこそ国家は人間と言う同一種が生存繁栄するための自由平等(対等)競争を実現するために国民の競争力均衡化(つまり平等化)ルールつまり均衡を厳守する義務があるのです。それによってデフレ、インフレ時に強者に集まる所得を税制によって所得再配分することによって、早期にデフレ、インフレを収束して経済成長を開始させるのが、最高所得税率の高い累進所得税制なのです。 人間同士と企業同士の競争力均衡化はルール重視の税制で決まります。経済学者が最高所得税率を引き下げ累進所得税率を減税するのが景気回復の基本手段であると言う再三の主張は「一体何の事実を根拠として主張しているのでしょうか」、全く不可解です。 つまり税収が減少する減税の財政運営を求めながら更に公共事業などの財政出動を求める財政赤字を大幅に拡大し財政不均衡へ誘導するメチャクチャナ要求をする経済学という学問は財政均衡を求められる国家を破滅に導く学問なのでしょうか。 ですから一見不可能に見えるが、増税によって財政出動に代替できる経済効果を持つ税制を私は過去の事実に基づき研究しているのです。 
市場経済は天候に左右される近世以前の農業経済と異なり、人間が人工的に作るシステムである以上、税制で人工的に進化システムを組み上げる事は可能なのです。 経済学は均衡によって「無から有を生み出す学問」であると理解しているからです。 故に私は税収が減少して財政不均衡をもたらす消費税の増税はダメで毎年税の大幅自然増収をもたらす財政均衡への超過累進所得税制への増税の主張を繰り返しているのです。

国家運営は税制で行われ、税収の暦年増加と経済財政運営は税制で決定されます。
以下が現実の事実です。あるべき税制などのキャッチフレーズは無意味なのです。
消費税無しの最高所得税率の高い累進所得税制の戦後43年間
国際競争力世界一への戦後43年間の累積財政赤字はわずか 195兆円
昭和26年の年税収  0.8兆円           年末株価  362円
昭和45年の年税収  7.8兆円45/26年9.7倍 年末株価 1987円
昭和63年の年税収 50.8兆円63/45年6.5倍 年末株価30159円
19年間対比で税収は6.5倍―9.7倍に、国際競争力世界一位へ同時に国民所得も増加したのです。

平成元年消費税制と最高所得税率の低い低累進所得税制の併用税制の導入
消費税導入後わずか19年間で国際競争力世界24位へ累積財政赤字 674兆円へ
平成元年の年税収  54.5兆円           年末株価38915円
平成19年の年税収 55  兆円19/ 元年1.0倍 年末株価15307円
19年間で税収は全く増加せず、国民所得も停滞しているのです。

強力な経済成長効果を有する消費税廃止の高累進所得単独税制が経済成長理論、税制改革理論、財政再建理論として平成元年後も継続していれば「平成20年度の推定税収は53兆円ではなく、永年の統計的証拠事実から平成元年の54.5兆円の6.5倍の330兆円となっていたはずであり、人口動態を考慮しても、税制効果による税収や国民所得大幅増加に伴い確実に200兆円」には達していたはずです。
 進化した経済学は「市場経済の増殖拡大とデフレやインフレ変化にも対応して合成の誤謬を発生させず経済に進化システムを作動」させる「自由・平等(対等)競争の絶対性原則」を融合した経済学へ進化する必要があります。

私の国家論は国家の存在理由が他の部分社会(企業社会や市民社会等)と並立しており、国民にとって活動内容が有意義であるかどうか、役に立つかどうかの機能性によって国家の行動を評価する米国流の機能的国家論に基づいています。
ヨーロッパ大陸諸国では国家は国家内の他の部分社会に優越する全体社会の代表と考える優越的国家論で国家経営されおります。
日本は明治以来、ヨーロッパ大陸諸国型思想の優越的国家論すなわち社会における国家の機能性よりも国家の優越性や理念性を重視する優越的国家論で国家経営されていたが、第二次大戦の敗戦から昭和63年までは米国流の機能的国家論で国家経営されました。 ところが平成元年から再度ヨーロッパ大陸諸国型の「あるべき税制」「公正・中立・簡素」などの理念中心の古い優越的国家論に戻ってしまいました。 国家は国債でいくら借金しても、「人件費+公共事業費+毎年の国債返済額」が「毎年の租税収入と均衡していれば何の問題も無い」のであるから、「税の自然増収が自動的に毎年実現できる消費税廃止の超過累進所得税制」は国家経営にとって絶対不可欠の制度となるのです。 歳入と歳出が「均衡できる税制」が必要です。
この考え方は民間企業でも大規模設備投資を借入金で行い、材料費+人件費+諸経費+毎期の借入金返済が毎期の売り上げでまかなえれば全く問題がないのです。
 しかし独占的な国家経営では「消費税無しの超過累進所得税制さえ採用すれば」毎年の税の自然増収は安心確実に達成できるが、他社との競争にさらされている民間経営では売り上げの増収の見込みは全く不確定であるので「消費税無しの超過累進所得税制を国家が採用し」総需要を毎年常に増殖し続ける市場環境を国家が提供することが民間企業を順調に発展させるために絶対不可欠になるのです。何故バカの一つ覚えのように過去二度も実行しては税収が増加せず総需要も増加しない失敗繰り返している消費税の増税に固執するのか、私には理由が全く分かりません。
税の徴収は他の方法もあるのであるから、一番国家にも国民にも、企業の発展にも良い効果をもたらす、多数の成功事実のある税制を採用すれば良いだけなの話です。

1.自然生態系は循環系の中で汲めども尽きぬ、酸素、水、食料等と生命の増殖循環を何千万年も続け、豊かに地球の生態系を作り上げています。 これはある種の均衡(循環)で成り立っているのです。健康とは外部から侵入するウイルスや細菌に対して内部の免疫系が対抗して均衡を保っている状態を健康というのと同じです。

2.地球環境と自然生態系の中心となる競争概念が同一種の生物が行う「自由平等(対等)競争の絶対性(増殖した方が勝ちの常に全体が増加する)」と「弱肉強食競争(相手を食い殺した方が勝ちの常に全体が減少する)と食物連鎖原則」の均衡したのが「自然システムであり、それが進化システム競争概念(生き残って増殖し進化した方が勝ち)」なのです。 弱肉強食競争では強者が弱者をエサとして捕食しすぎると、強者はエサ不足で生存できなくなる食物連鎖原則が働くので減少量は抑制される「均衡作用」が作動するため、同一種による自由平等(対等)競争の増殖量が異種間競争の弱肉強食競争の減少量を常に上回るために、極端に増殖もせずに均衡を取りながら時間を掛けて自然は豊かに進化増殖繁栄するのです。
つまり生命の増殖性と進化性を発揮させるためには「事実としての自由と均衡(平等)の競争」という概念は必要不可欠なのです。 それによって自然は異常に増殖も減少もせず均衡を取りながら時間を掛けて自動的に豊かに増殖進化するのです。 

3.人間と言う自然動物が構築する市場経済は自由平等(対等)競争の絶対性の均衡原則による生命の増殖理論を活用するときに限り高度経済成長が実現するのです。 さて学者が確立した全体主義もナチズムもファッシズムも軍国主義も、更には思想的に正反対の学者が狂信した共産主義思想も、自由な言論を戦わせる均衡主義に反するため人類の長い歴史の自由平等(対等)競争の中で、現実に人間社会に役立たず適応できない思想や主義や理論となり、必ず市場経済の中で増殖できず増殖競争に敗れるのです。   共産主義のようにロシア革命(1917)からソ連崩壊の1991年まで74年掛かったも必ず国民によって淘汰されるのです。  
正しいと考えられた事でも誤っている事は無数にあり、時間が掛かっても結局国民大衆によって必ず淘汰されるのです。 

4.理工科系成果も、文科系成果もあらゆる研究は常に自由平等(対等)競争の絶対性にさらされ、特に文科系成果の適不適の判定は非常に時間が掛かるが「事実を基礎にどれが各種の環境に適応し、どれが人間の社会生活に役に立つか競争しながら国民の多数決で判断されるのであり、経済学の研究手法も例外ではないのです」 
故に全ての課題は「事実と事実の集大成である歴史」を元に判断すべきなのです。
事実に近いが事実ではない「バーチャルなモデル」に頼る現状の経済学は科学とは全く言えません。  つまり経済環境(例えば人間と企業を統括する税制は平成元年に激変)は日々刻々変化しているのに、何十年も前の税制を与件として観念し更に事実ではないバーチャルなモデルを採用して、評価し判断しても正確性を全く欠く結果しか得られません。 残念ながらこのような非事実の手法で学問が成り立っている文科系学問を経済学以外、私は全く知りません。 
これでは研究者は自分好みのモデルを選択して自分好みの結論を得ようとするわけですから、事実に基づく厳正な学問ではなく「非常に情緒的な学問」といわざるを得ません。 これでは必要な目的(結果)を確実に達成する手段を発見する事はできません。 例えば法学のより所となる裁判にも全く使えない学問です。 
犯罪者を膨大に集め特徴を「モデル化」して、モデルをいくらいじくり回しても、ある特定の犯罪で「特定の人物」を「犯人」として特定することは全くできず、このような因果関係を精密に調べない手法では「冤罪」を無数に発生させてしまうからです。  必要なことは「モデル」ではなく「事実を因果関係のあるシステムの一部として確率的に認識し」、そうした事実同士を因果関係のあるシステムとして結びつけ、システム全体を把握した上で、原因事実を理解し発見することであります。 
さすれば「結果事実」を生じた「特定の原因事実」が何であったか「因果関係が明確になり確率な恒常的連接(再現性)」を明らかにできて、目的を実現できる科学的手段を得られるのです。  
さて「市場経済」や「民主主義」や「資本主義」等の「進化システムは自由平等(対等)競争の中で、常に現実に経済を増殖させている」ので、他の主義と比較して勝ちを占めているのです。 理論も思想も主義も制度も税制も、結局のところ経済環境、政治環境、地球環境に直接に接している大多数の国民大衆が現実に役に立つ制度か税制かの、適応、不適応を「事実」に基づき判断しているのです。 
理屈で判断は絶対に出来ず国民大衆が事実として現実に社会に役立つかどうかで時間を掛けて判断して制度や思想や税制は事実に適応するものだけが生き残るのです。 
結局制度や思想や税制は人間社会に役立たなければ、いくら理論や美辞麗句を並べ立てたとしても時間を掛かけても目的の結果が出なければ絶対に淘汰されるのです。 経済学の研究手法も全く同様なのです。

5.1―4.を結びつける他の何百万種の動物には全く無い人間の特性が「過剰性の本能または文化」(最低限度生きるために必要なもの、以上なものを常に求める特性)にあり、どんな時代になっても人間に満足は無く、常に現状より、より良いもの、より機能の高いもの、より人間が好きなもの等を追い求める性質がある以上、社会的動物の本質を崩さない範囲で他者との均衡を取りながら、この特性を活用すれば経済成長は可能であり、且つ限界は無いのです。

6.従って税制をはじめ諸制度は「実質的な自由平等(対等)競争の絶対性」(競争力均衡化いわゆる均衡概念を含む)を遵守した国家運営の大切さを知るべきです。
それを遵守した税制の時に限り、市場経済に進化システムが作動するのです。
だからこそ企業の自由放任を認めた均衡化のタガをはずした国家経営は、自由を旗印に強者企業が効率や利潤のために弱者企業や弱者消費者、弱者労働者を手段を選ばす抑圧する結果を容認するので、いずれ消費者や労働者への不利益が発生し結果として必ず失敗するのです。 企業経営では効率と利潤が第一であり、それに徹した行動をとることは、自由平等(対等)競争の絶対性の法律に違反しない限り、非難されるべきではありません。 しかし企業経営では絶対に総需要の増殖を実現出来ないので論理的帰結とすれば、企業経営の経営論理で国家に経済成長をもたらすことは絶対に不可能なのです。 故に国家経営を企業経営と全く同じ手法で経営しようとする目論見は全くの見当はずれです。 従って国家経営では国家しか出来ない人工的に総需要つまり個人消費と所得を増殖するシステム(税制)を構築しなければ、結果として企業経営では総需要が増加しない為、時間とともに企業は追い詰められてしまうのです。

7.良いに付け悪いにつけ「人間の行動を律する文化は無言の圧力」になるのです。
自然界の異種間の弱肉強食競争(全体が減少する)に近い文化が国家の中に充満すると、同一種間同士の人間が本来持つ全体が増殖する自由平等(対等)競争と矛盾するため、人間の個人消費意志や行動に抑圧感が強まり、経済不況が発生します。

市場経済は結果が全ての厳しい世界なので「言葉」や「情緒」や「信念」など「正しそうに見える事実ではないモデル」ではダメで「事実に基づく国民多数が認める常識的論理で組み立てる」必要があり、事実に基づかないモデルにより組み立てた論理は必ず破綻し、しっかりとした事実に基づく論理で市場経済システムを構築しないと「弱肉強食競争の全体が減少する市場経済」にも「自由平等(対等)競争の全体が増殖する市場経済」にもなり得て、全く正反対の市場経済が出現するのです。その市場経済システムを経済成長するように「自由平等(対等)競争の全体が増殖する市場経済」へ適正化する中枢が市場経済を強制的に厳重管理する「税制システム」なのです。


私はもともと経済学とは無縁な分野で仕事をしてきたので、下村さんの書籍については、詳しく読んだ事はありません。 しかし常日頃経済については興味を持っていましたので10年位前から努力して経済的事実を分析研究しているのです。
私が経済学に疑問を持ったのは、科学技術の世界では論争は「真実に向かって近似値の争い」であり成果も劇的に改善されるのに、経済学の論争は「真逆の論争」を行うのが常であり、結果として政治家がどちらかの意見を採用し学者の意見どおり実行しても予定通りの改善結果が得られないことを、常日頃実感して経済学の論理回路がどこか根本的に間違っているのではないかと感じていたのです。
下村氏の例でさえ、「評伝 日本の経済思想 上久保敏 著」によれば「経済実相報告書」(第一回経済白書として 昭和22年発表)の物価や家計の原稿を担当した下村氏は当時の主要な経済学者の反対にあっており、その主張は結局採用されませんでした。 しかも下村氏はその翌年から3年間結核で病床にあり、税制まで関与する事は出来なかったと思います。

税制の立案についても池田氏と下村氏は一心同体であったのか、については事実は歴史の闇の中ですが私は否定的に考えています。 池田隼人は戦中戦後の主税局長(国家税制立案の最高責任者)を歴任し、昭和21年に第一次吉田内閣の大蔵事務次官に任命された天才であり税制については命がけでアメリカの強大な生産力の源泉を税制面と財政面(アメリカは膨大な戦費をかけた第二次大戦終了のわずか2年後に財政再建も終了した)から深い造詣を得て、研究を重ねていたプロの税制論者であります。 縦割り行政が徹底されていた当時、同じ大蔵官僚とは言え税制以外の道を歩んでいた10歳年下の下村氏が、税制について池田首相と接点があり、且つ自分の研究対象(物価や家計)以外の税制について意見を述べて採用されたなら、必ず理論の中に述べているはずでありますが、全くありません。 したがって下村氏は財政金融の純経済学的側面からの自説を主張したのであって、日本の戦後税制は天才池田隼人単独の研究成果と感性が具現化したものと考えています。 
特に戦後税制が徹底して研究再構築された時期、昭和23年から3年間、下村氏は結核で病床に臥していたのです。 しかし下村氏はその病床の中で経済成長理論の研究を続け、これが後に下村理論として知られるようになった経済成長理論の出発点であります。  下村理論には税制の寄与は出ていないところを見ると、税制は眼中になかったと言わざるを得ません。 ましてや財政の均衡主義者である下村氏が減税を計算して主張するのは奇異であり、私は下村氏と全く同じ財政の均衡主義者ゆえ最高所得税率を高めて増税すべきとする累進所得税制を主張しているのです。 つまり現状の財政を均衡方向(増税方向)へもっていくと景気が回復される消費税無しの累進所得税制を主張しているわけであり、消費税のように増税すると不況を招き法人税と所得税の減収を招く(つまり国民所得が停滞減少する)消費税の増税など、財政の不健全化を招くもってのほかの主張と、私は事実に基づき強く反論しているのです。

下村さんは「国内均衡と国際均衡を保ちつつ経済を安定的均衡へ導くためには均衡点を下へ見出さざるを得ない」と書かれているそうですが、これを私ならば「自由と平等の正しい定義の文化の形成つまり、国内均衡と国際均衡を強制的に保つような税制で経済をシステム化し均衡点を更に上へ見出します」へ変更したいと考えています。 税制は文化の集大成であり「文化」は良いにつけ悪いにつけ「無言の強制力を持つ強大な力を持っているからです。」 
戦前と戦後の日本の劇的な変化と日本経済の発展は正に「自由平等(対等)競争文化定着のコペルニクス的転回」が原因となっているのです。 またHMさんは下村さんの言を絶対に正しいと仮定して述べていますが、サイエンスを求める以上、下村氏が挑んだように先人の意見にも事実を持って反論する必要があると思います。
自由だから均衡は達成不可能と考える必要は全く無く、不可能に対する挑戦こそがサイエンスなのです。 不可能と考えると全てはその時点で固定化されてしまって全く進歩しなくなるのです。 不均衡を容認する思想や末法思想は間違いなのです。
人間は「過剰性の本能を持つ故に」下の階層は上の階層を目標にシャクトリ虫のように上位階層の個人消費と所得を求め、上の階層は、夢の実現に向かって高度な個人消費と高度な所得を求めて努力するのです。 そして低所得階層は既に個人消費段階で商品購入時に高率の租税負担と企業貢献負担済みであるという事実があります。 そこで低所得階層へ生存のために文化的で最低限度の生活の個人消費をする可処分所得の獲得を保証する(そのためには生活保護世帯以下の所得の家計の非消費支出はゼロに近づける工夫が必要)税制の仕組みが望まれるのです。 高所得者層は高所得ゆえに生存のための個人消費には全く問題が無く、政治的にはともかく、経済的には国家に高累進所得税を課せられても自らの自制によって過剰な個人消費や過剰な貯蓄を自制する余地は十分あるのです。市場経済ではそのような税制を受け入れられるので「消費税無しの高い最高所得税率の超過累進所得税制を構築可能」なのです。結果として高所得階層の更なる所得獲得や資産価値の向上をもたらします。 つまり過剰性の本能を持つ人間の社会では「過少の方向へ過剰にならない範囲で、且つ過大の方向へ過剰にならない範囲内の自由と均衡」が本質的に必要なのです。 逆にそれを超えた過剰さは規制の対象になると考えて良いと思います。全体主義も共産主義もこの「自由と均衡(平等)思想」が欠如していたのです。
マッカーサーはGHQ時代日本国憲法を始め45の基本法律へ、「自由と均衡(平等)思想」つまり「自由平等(対等)競争の絶対性原則」を徹底追加したのです。
労働基準法、労働関係調整法、労働組合法を構築したのは、「労使の対等性を法律で保証し」企業と社会の均衡ある発展と対外的には労働コストの過剰な切下げによる安かろう悪かろうの製品輸出を結果として阻止する狙いもあったと思われます。
「現場の刑事」は科学的な捜査を徹底しようとする故に予断を廃し、全ての可能性を考慮に入れて、上司の意見を無視してでも、あらゆる事実の収集に全力を注ぐのです。サイエンスとしての科学的捜査とはそのように事実を捜査するものなのです。
そしてアメリカで貯蓄過少の現実が問題であれば金融政策の貯蓄金利で貯蓄誘導する政策が最も適切と考えられます。その点低金利政策は良い政策とは言えません。
貯蓄不足部分は銀行による中央銀行からの借り入れによる資金での、貸し出しでも補えるので、貯蓄不足は経済にとって決定的な問題ではないのです。

まず欧州大陸諸国には「優越的国家論で計画や統制を重視する」文化や論理があります。 だからこそ優越的な究極の国家論である全体主義や共産主義は欧州大陸諸国から生まれ「自由平等を国是」とするアメリカからは絶対に生まれなかったのです。 故に欧州型付加価値消費税制も「計画と統制を国是」とする欧州大陸諸国から生まれたのです。 
従って消費税制の複雑で人間社会に役立たない本質を知るアメリカは全世界が消費税を導入する現代においても絶対に消費税制を導入しない唯一の国家なのです。
消費税の増税と累進所得税の低下減税は所得再配分機能と進化システムの個人消費の増殖力を事実として低下させ、結果として総需要は低下するので、不況を招き毎年の税の自然増収は全く期待できず財政再建には全く役立ちません。それに対して消費税無しの最高所得税率の高い累進所得税制は所得再配分機能が強化され国家全体の消費性向が高進し、更に個人消費の増殖力がそのまま発揮されるため、結果として強力な景気回復効果を表し、経済成長をもたらし、毎年税の自然増収をもたらす事は、事実として過去の長い歴史的事実から明々白々であります。
これはアメリカ経済の第一次世界大戦からの100年の歴史と、日本の戦後43年間の歴史を調べれば直ぐに分かります。
経済学者が最高所得税率を引き下げ累進所得税率を減税するのが景気回復の基本手段であるといった再三の主張は「一体何の事実を根拠として主張しているのでしょうか」、全く不可解です。 共和党のレーガン大統領やブッシュ大統領が累進所得税をあれほど減税しても何ら税収の増加にも景気回復にも財政再建にも役だたなかったのに、どのような事実を証拠に累進所得税の減税を主張しているのでしょうか。
消費税の減税を主張するのであれば簡単に理解できるのですが。
「税制には最高所得税率引き上げの増率増税すると景気が良くなる累進所得税制」と、「増税すると景気が悪くなる全く正反対の経済効果を持つ消費税制」が事実として存在するのです。 だからこそ財政再建には増税が必要である日本において消費税の増税に絶対反対し、最高所得税率引き上げの累進所得税の増税に大賛成するという、論理的に一貫した主張なのです。

経済成長の内的原因は人間文化の持つ個人消費の過剰性にある以上、今の生活よりより良い生活がしたい生き残りたいという欲求は阻止できないので経済成長は無限に可能なのです。
さて消費税の増税は法人税や所得税の減収原因となり、税収全体の毎年の「税の自然増収をもたらさない」ことが、過去の実績事実から明らかであります。逆に一旦消費税無しの最高所得税率の高い超過累進所得税を導入すると、その後増率増税しなくとも税収全体に毎年長期間継続的に「税の自然増収がもたらされる事」は、米国の50年間、日本の前後43年間の実績事実から明々白々であります。この不思議な現象を生じる原因を徹底して分析研究したものが吉越の論文なのです。 
そして租税負担率の計算式から「税の自然増収がもたらされる事は、正に国民所得の自然増加つまり経済成長がもたらされている証拠である事」をあわせて発見し、その原因を徹底して捜査探求したのです。

為替相場の安定は「購買力平価の実現つまり貿易収支の均衡」こそが重要です。
ここにも下村氏の求める「均衡の大原則」があらわれるのです。
自由貿易体制の本質は「自国で生産できない材料の輸入の自由の厳守」がその本質であり、決して「輸出の自由放任」ではないのです。全ての生物も外部資源を取り入れて生命を維持しているのです。同じように人間と言う生物の集団で構成されている国家も必要素材の輸入で国家を維持しているのです。 したがって輸入するための、基軸通貨であるドル資金を得る範囲内の輸出は必要であるが、それ以上の輸出は変動相場制による過剰な円高によって、日本経済に悪影響(輸出企業の円高によるコストアップや利益減少、生産拠点としての立地条件の悪化、安値輸入による産業構造への大悪影響等)を与える事を認識しなければなりません。 
従って特に輸出競争力の高いわが国では、輸出の自由放任が善であるという認識を改め、輸入に必要な分だけ輸出するのが、善であるという、国民教育を開始し、そういう文化を作り上げなくてはなりません。
「文化は企業にも国民にも無言の強い圧力を持ち効果を表すからであります。」
そして輸入の自由の死守は他国との資源獲得競争に際して、不利益な取り扱い(つまり不必要なコストアップ)を避けることが最重要であり、他国と比べて有利に輸入する必要は全く無く、輸入コストが他国と同額であれば全く問題が無いのです。
従って多量に輸出したい企業は相手先国家へ直接投資をして相手先国の労働者を雇って生産し、相手先国の消費者へ販売して利益を上げ、相手先国家へ貢献して日本企業は尊敬を得られ、配当を正々堂々と頂戴するのです。 この自国生産・自国消費の内需主導の経済成長体制を構築すれば他国が不況となっても、もともと輸出依存度が低いので日本国内の生産量を減少する必要は全く無く、他国の経済的悪影響を受けにくい国家構築できるのです。 この貿易収支均衡政策により為替相場の均衡が保たれ、適正な購買力平価の為替相場を得られ、完全ではないが為替相場に翻弄されている企業経営にも国家は大きく貢献できるようになるのです。
なお念のため付け加えると、基軸通貨を有する米国はどんなに貿易赤字を出して、代わりに国債を発行し続けて資金を集めても大問題になる可能性は低いのです。 それはアメリカが破綻してドルが暴落しても損をするのは国債の買い手であり、更に国債を買った国家へ返済するのは、ドルの輪転機を国債のドル表記分だけ回すだけで可能であるのに対して、非基軸通貨の円を持つ日本が万一国債を発行し続け、外国へドル換算で国債を売却する事態になると、万一日本経済が破綻したときには円は暴落し、その時点のレートで返済しなければならず、国債販売時の10倍、いや100倍、いや1000倍の円を準備しなければドルで返済できず大問題になるのです。 それが基軸通貨特権を持つドルと基軸通貨特権を持たない円との決定的な差があるのです。 だからこそ国債に頼りすぎてはならず財政再建は絶対に必要であり、増税して歳入歳出の均衡を早く取り戻さなくてはならないのです。 
財政再建には私が主張する長期間継続して「毎年毎年、税の自然増収を実現する税制」でなくてはならないのです。消費税のように絶対に税の自然増収を実現できない税制は事実として財政再建にとって最悪な税制だから反対しているのです。
資本移動の自由と労働力移動の自由は現在「自由放任」にはなっておらず、日本国民へ被害を与える自由は常に規制を加えられており問題は少ないと思います。 
「自由とは」正直で誠実な国民の自由平等(対等)競争に現実に被害を与えない範囲内の自由であると考えていただければ良いのです。   自由放任は必ず競争のどこかにに問題を引き起こすので、自由とは決して自由放任ではありません。
キャピタルフライトは大幅な財政赤字による通貨への信任の欠如、生産力の欠如による異常なインフレ等がありますが、それらはいずれも財政均衡意識の欠如、需要供給均衡意識の欠如など、常に「常識ある均衡意識の欠如」から生じるのであり、私は下村治氏や池田首相と同じ徹底した均衡主義者であり、同時に徹底した国家の経済成長必要論者なのです。 現状の経済学では不可能と考えられる事も、税制の持つシステム的な因果関係によって、常に経済成長と財政の均衡は同時達成が可能なのです。 経済学の欠点は財政政策と言いながら、実は景気回復のためには総需要を拡大するために歳出の拡大を主張しながら、歳入については減税で景気を刺激しようとする、財政の不均衡を推奨している点であります。これは国家経営にとって全くの間違いです。 私は全く正反対に景気に悪影響のある消費税は徹底して減税(廃止)を行い、所得再配分機能の高い景気に良い影響のある累進所得税の最高所得税率の増率増税を徹底して主張し、結果として「財政の歳入と歳出の均衡を主張している」のです。

下村は「経済成長は自国生産・自国消費だけで達成できる」という考えで、かつ極度の均衡主義者です。とHMさんは述べていますが正に私と全く同一の考え方です。 ただ「エネルギー資源の制約」にぶつかるという意味が私には全く理解できません。 
他国と同一条件(例えどんなに資源が高値になっても)で資源が輸入できれば、他国と競争条件は平等になるわけだから競争上全く問題が無く、更にエネルギー資源の高騰は代替エネルギーの開発促進要素となり新エネルギー産業の起業につながり全く問題がないのです。 輸入条件が他国と平等なら全く問題は発生しないのです。
更に財政の不均衡を心配しているようですが、最高所得税率の高い累進所得税は最高所得税率を高めれば高めるほど、更に景気は良くなり(詳しい理由は別途解説します)税収は当然増加するので財政不均衡になる心配は全くないのです。
もしかしたら下村氏の著作が消費税と低累進所得税制導入後の平成元年以後の税制を前提で出版されたのであれば、下村氏の論理的帰結は当然となります。だから私は財政不均衡をもたらす現状の税制ではダメだという主張を繰り返しているのです。


正直で誠実な納税者にとって利益になる納税者番号制は当然に導入すべきと、私は再三主張しています。 貨幣経済の資本主義市場経済においては、国民の共同体である国家に対してカネのプライバシーなど存在しないのです。 納税の義務は憲法で規定されている以上「正直で誠実な納税者は税務調査は公明正大に短時間に簡単に終わって結論を出してもらいたいのに」納税者番号制を批判している人たちは、それを妨害し、一見リベラルな主張に聞こえますが、実は複雑な商取引を更に複雑に見えにくくして悪意で所得を隠したい人たちが主張しているのではないかと心配さえしています。正直で誠実な人たちは不当な不利益が無ければ問題はないのです。
次に物品税についてですが、私は人間社会に「現実に被害を与える商品」については、個別生産規制、個別消費規制は必要と訴えておりまして、そのための個別間接税は必要と考えております。 それによる商品競争力の減殺によって代替となる人間社会の発展にとって有益な高コスト商品、より地球資源の消耗が少ない高コストの再生商品の普及のために間接税制が競争力均衡化に役立つと考えているからです。 しかし贅沢品に対する課税というように道徳や規律と言う意味不明な判断基準を持ち出す間接税には断固反対します。 また環境税や炭素税など一般的な間接税はサイエンスとはなり得ず、人間社会に現実に被害を与えいる商品や代替品が存在する商品に限って商品競争力の調整のための「個別間接税を採用する事は大賛成」です。 ガソリン税の無いアメリカは非常に大問題なのです。
税と経済は道徳や規律ではなくサイエンスだからです。 日本の財務省は各省の要求に屈して、取り入れやすい減税政策ばかりを競争政策に取り入れていますが、私は逆に被害の事実を良く調べて、具体的に問題のある商品の個別間接税を活用することが国家財政の増収にもなり教育上、国民の理解を得られやすいので、有用と考えているのです。
さて法人税の累進課税については、私は全く研究しておりません。 
ただ法人は人間と違って分割可能なので、累進となれば直ぐに分割の話が出るのは当然と思いますので果たして法人税の累進が実効性上、有意義かどうかは疑問が残ります。 ただ人間の統治が難しい巨大な企業やグループを作ることが、社会に役立つかどうかは非常に問題があるところであり、進化論的には環境に適応する際、巨大なグループは進化のスピードが遅いという大欠点があるからです。
過大な競争力差(企業同士や企業と人間)が存在することが人間社会にとって役に立つかどうかは疑問があるところであり、そのために独占禁止法があるのです。
法人税に累進課税を導入すると企業分割の呼び水になるので、法人税の累進課税制度が独占禁止法の前段階の存在と解釈すれば理解されやすいかもしれません。
つまり根本問題の解釈しだいです。
 しかし人間と違い法人は国際競争をしているので他国企業との競争力均衡化を図らなければならないため、私は本件について今回詳しい研究しておりませんので、私見を述べることは全くできません。 ご容赦ください。
また固定資産税の累進課税についても考えた事は全く無く、地価税の考え方は非常に巧妙であり、賛成していましたが廃案となり残念でした。 税はコストであると考えている私としては累進所得税の徹底こそが先決と考えているので、固定資産税の累進課税が必要であるかどうかの判断は今のところ出来ません。 マッカーサー元帥が当初の憲法草案として提示した日本国憲法の原案では土地は国民共有の財産という考え方を提示しており、その意味から過剰な土地所有(利用しない土地取得)を戒める意味から、まず地価税的な考え方から進めることが妥当と考えています。
地下経済については納税者番号制が最も効果があり、更に現状税制は金融所得、譲渡所得つまりキャピタルゲインの利益を他の所得と区別し特別扱いしている所に大きな弱点があります。 その点、法人税と同様所得税でも全ての収益は平等に扱うべきと考える私の意見は、アメリカのキャピタルゲインを特別扱いする特定層に有利の考え方は大反対です。  国民間の生存競争において所得獲得手段による租税負担の平等(対等)性を破壊する税制は好ましくないと考えています。

しかし、米オバマ政権が所得税最高税率を引き上げたら、対する日本の側でさっそく「所得税最高税率をもっと引き下げて富裕層を呼び込め」と言い出す連中が出てくるでしょう。私はこれが心配なのです。 とHMさんは心配されておりますが、私はまずオバマ政権がクリントン政権の最高所得税率39.6%程度の引き上げでお茶を濁すのではないかと本心心配しています。 当時より世界の経済環境は極度に悪いなっているので、少なくとも世界大恐慌後のルーズベルト政権の採用した最高所得税率63%以上の高累進所得税へアメリカは改善して自力経済成長を目指すべきと考えているからです。
さて「個人消費+設備投資=―>所得」である以上、所得は本人の意志では獲得できず、他人の意志によって獲得できるのであるから、外国人の富裕層を日本へ呼び込み居を設けさせても日本国民から直ちに所得を得る事は難しいのです。  つまり多額の税を徴収することは出来ないのです。 故に日本人からの税収の徴収を確実に行い、更に日本全体の消費性向を向上して、毎年税の自然増収を安全確実に達成した方が財政再建は達成しやすいのです。 そのような常識が分からない連中には、そのように説得し、それでも聞かないなら、いうとおり実行して失敗したら、どのような保証責任を取るかを問い詰めればあきらめると思います。 
彼らの言うとおりうまくいくなら他国はすでに大成功しているはずであり、全くそのような手法で大成功した大国の話は聞いたことがありません。中小企業では無理を言って実行する場合、連帯保証をとるのは当然であり、無理な主張により国家に損害を与えたら、それらの連中から家屋敷を担保として取るのは当然の話なのです。

高累進所得税制の考え方は
1.まず個人消費(商品購入)時に消費者は、商品コストに実質的に含まれている
「全租税負担(法人税、源泉所得税、消費税等の国家維持費用)+税引き後の材料費、人件費、諸経費等の企業貢献負担つまり企業維持費用」  を事前に個人消費(商品購入)の原価に織り込まれて国民全員が平等率で負担していると考えます。 これは厳然たる事実です。経済活動は全て個人消費に応じて国家費用も企業費用も全額平等率に負担している事実から出発するのです。

2.従って総務省統計局の「日本の統計」が重要となりますが、特に累進所得税制の税率立案には、家計調査報告(全国8000世帯で精密調査)が重要になります。                                                                                                                                                                                               
家計調査報告には世帯の「実収入、消費支出、非消費支出、貯蓄や負債の出入り」などの国民の生活の事実としての統計が詳細に作成されています。 私は経済活動が個人消費から出発する以上、家計を調査していた下村氏と同様この統計が国民生活の向上に一番重要になると考えています。 個人消費に応じた商品コストを通じた事実としての租税負担の平等率負担を、所得に応じた平等率負担へ変換するためにはHMさん指摘の通り消費性向を織り込んだ算式が必要になります。 
故に家計調査報告では非消費支出(租税負担や社会保険料)を精密に把握しているので、これと事前に個人消費時に商品コストとして個人消費に応じて平等率に負担している租税負担率や企業貢献負担率を、所得に応じた平等率に変換して負担調整しているのが超過高累進所得税制の本質なのです。  税制で正しく所得に対する負担調整しないと租税負担率や企業貢献負担率が不平等率になってしまいます。 
つまりこの非消費支出を所得に応じて平等率へ誘導する税制が必要になるのです。 結局税制は個人消費に「自由」を与えて自然な増殖を促し、個人消費から創出される所得に対して、結果として個人消費率と貯蓄率が全所得階層ともに所得に対して「平等率」になるように課税するのが累進所得税制の本旨なのです。

3.つまり「所得=―>個人消費+貯蓄」であり且つ「設備投資<―貯蓄」である以上、家計の実収入の中で必要な望ましい貯蓄の割合は、国家しか知りえないわけであるから、その割合を算出した上で、その所得階層の「実収入―消費支出―実収入X貯蓄率」で余剰があれば、それが非消費支出(租税負担等)へ使用して良い部分と考えます。 これによって憲法で求められた自由平等な税制となるのです。
もう一つの単純な考え方は所得に対して文化的最低限度の生活のための課税最低限度を設けた超過累進課税方式を取り、実質的な平等に反する「非常に過剰な貯蓄」と「非常に過剰な個人消費」という均衡主義を踏み外した国民を規制するために最高所得税率を高めれば高めるほど良い経済効果が現れるのだと観念する方法もあるのです。 私個人は「過剰な貯蓄」のみが、経済的無駄の本質と考えていましたが、アメリカの実情をHMさんから指摘されると、もしかしたら高所得階層の過剰な個人消費も助け合って生きていく社会的動物としての人間の本性に反する経済的非効率(資金循環の非効率性)なのかもしれません。
さらに生活保護世帯の所得以下の低所得者層も事前の個人消費時に租税負担や企業貢献負担を十分行っているので「非消費支出(租税や社会保険料)」はゼロにするような税制を構築しなければ、社会福祉との整合性がとれた税制とは言えないのです。

4.事後に所得に応じて負担率が低かった納税者から所得税の確定申告時や年末調整時には追加徴収するのが累進所得税と考えると理解が早いと思います。

5.しかも徴収するべき税額は所得再配分機能の意義を考えると租税負担率だけでなく企業貢献負担率も対象になるので、結局所得から階層毎に統計的に把握した個人消費性向と国家が認めた貯蓄性向を控除した残額となります。
ただ消費性向は家計調査報告では「消費支出/可処分所得」となっており、可処分所得とは「所得―非消費支出(主として租税等)」となっている点に留意しなければなりません。 私は非消費支出=個人消費と考えています。 それは非消費支出は結局国家の所得再配分機能により、低所得階層に再配分されるので、その所得者は100%近く個人消費するので、非消費支出は結果として個人消費と考えられます。

6.したがって年収100万円の低所得階層の「消費支出+非消費支出(家計調査報告上の)/100万円=95%であり」且つ貯蓄性向5%を国家が認めるとすれば、この時点の徴収税額は100万円-95万円-5万円=0円となります。
 同様に年間収入100億円の超高所得階層の「消費支出+非消費支出/100億円=95%」になるには、100億円―その階層の消費支出―許容貯蓄性向5%5億円=納税額(非消費支出)になる制度と理解すれば早いと思います。 
もちろん正確には上記算式どおり、全個人消費+非消費支出を正確に記帳して計算できればもっとも望ましいのは言うまでも無い。
もう一つの単純な考え方は所得に対して文化的最低限度の生活のための課税最低限度を設けた超過累進課税方式を取り、実質的な平等に反する「非常に過剰な貯蓄」と「非常に過剰な個人消費」という均衡主義を踏み外した国民を規制するために最高所得税率を高めれば高めるほど良い経済効果が現れるのだと観念する方法もあるのです。 私個人は「過剰な貯蓄」のみが、経済的無駄の本質と考えていましたが、アメリカの実情をHMさんから指摘されると、もしかしたら高所得階層の過剰な個人消費も助け合って生きていく社会的動物としての人間の本性に反する経済的非効率(資金循環の非効率性)なのかもしれません。

アメリカの高所得階層の高消費性向の事実がある事は「新鮮な驚きでした。」
ただそれが事実かどうか、まだ私は半信半疑であります。 数パーセントの高所得者層が国富の過半以上の富を所有していると言われるアメリカにおいて高所得階層の消費性向が異常に高い(貯蓄性向が異常に低い)という事実と矛盾する(貯蓄や有価証券投資が少額でどうやって大規模資産や富を得たのか)膨大な富の源泉について疑問があるからです。  しかしそれでも1933年から1981年までのほぼ50年間の70%以上の高累進所得税制時代でもアメリカ経済は極端な財政赤字も無く、無難に経済運営できている状況から、そのような事実があったとしても高累進所得税制は全く問題なく機能する事が事実として証明されています。
だからこそアメリカは貿易収支の赤字を常に資本収支の黒字で埋めているのでしょうか。 これはアメリカは供給力が絶対的に不足しており、現実には商品の供給力不足は絶対に一朝一夕では解決できないので、アメリカ経済の根本的解決は難しいのです。 今後もアメリカは基軸通貨特権を活用し国債の発行を続け資本収支の黒字を図ろうとするでしょうが、日本は貿易収支の均衡策と資本収支の均衡策をとり、このようなアメリカの政策に加担する必要は全くありません。それはアメリカへ輸出したい他国に任せておけば良いのです。
それに比べて日本は供給力過多を現しており、これを改善するには総需要を増加させれば良いだけですから最高所得税率の高い超過累進所得税制を採用するだけで簡単に日本は景気回復と経済成長と税収の長期継続的増加と株高が実現できるのです。
ただアメリカの高所得階層の高消費性向の疑問は別に置いて、そのような場合でも最高所得税率の高い累進所得税制は極めて有効であり、フラット志向所得税制は最悪である事を解説します。
人間は社会的動物であり、同一種内で自由平等(対等)競争をしながら、協同・協力して進化システムの個人消費の増加を非進化システムの所得の増加に等価変換して生活水準を向上して生存している動物であるという事実が、人間の本質なのです。
そこで低所得者層が経済不況で生きる死ぬの苦境に陥っているときに、高所得階層が強欲で過剰な個人消費を行う余裕のあるときは、高累進所得税制で国家が高所得階層へ最高所得税率の高い累進課税する事は許されるのです。 一部の人間が享楽の限りを尽くすソドムとゴモラを放任しては人間社会は成り立たないのです。
もちろん能力や努力を加味し且つその所得階層に適正な個人消費が出来るような可処分所得に配慮した超過累進所得税制によって、通常の場合でも超過累進所得課税を行う事は、人間の社会的動物としての本質から考えて当然のことであり、これが正に「応能負担の原則」であります。 「商品の応益負担の原則」は消費者の所得を個別に把握できない民間企業の一般的な原則であり、従って国家の一般的な原則ではありません。  経済はサイエンスでありますが、サイエンスと道徳や情緒が一致する部分は理解されやすいと考えています。
つまり低所得階層は個人消費時、高率の租税負担や企業貢献負担を実施済みであるので、年末調整や確定申告時の事後の「非消費支出(租税や社会保険料)」の申告負担が少なくすれば、生活必需の個人消費のための可処分所得に支障を生じる割合が低くなるので、低所得階層向けの国家の財政負担や無理な財政出動による景気回復負担が少なくてすむという大きな利点があります。したがって福祉政策との整合性を考えれば生活保護世帯以下の所得に対しては非消費支出の生じない税制が望まれます。  もちろん高所得階層の「非消費支出」の強制負担は極端に大きくなり可分所得は圧迫されるが、所得額が大きいため「強欲で過剰な消費や貯蓄を自制されるだけで十分であり」文化的な生活を送るためには全く問題はなく、その税収による国家政策の実行によって所得再配分機能(経済成長の強制循環エンジン)が作動し、低所得者層の所得の増加により、進化システムの個人消費が更に活発になり販売商品が数量的に大幅増加し、経済が活性化し高所得階層の非進化システムの所得も増加するのです。 もしアメリカの消費性向について統計上の把握方法が日本と全く同じであれば、アメリカの高所得階層の個人消費性向は正に異常に過剰であり、これを高累進所得税制で低所得階層への所得再配分機能へ活用する事は、無理や摩擦が少なく競争力均衡化が実現できる非常に妥当な方法と考えています。 となるとこのような国家は貯蓄が少なすぎるため設備投資資金が枯渇し対策として中央銀行の通貨増発による貸し出し(安易に実行するとインフレになりやすい)か他国(特に貯蓄性向の高い日本など)からの借り入れに頼らざるを得なくなるのです。  
したがってアメリカの消費過剰の文化が事実ならば、貯蓄と設備投資の均衡を図る重要性や財政の均衡の重要性についての文化育成の国民教育と最高所得税率の高い累進所得税制の導入が重要と考えています。 
それを深い考えもなしに手っ取り早くフラット税制で解決しようとすると市場経済では必ず経済成長の停滞と格差拡大(低所得階層の生存を脅かす)という取り返しのつかない重大なデメリットと社会不安と摩擦を生じてしまいます。
サイエンスは社会に役立つことであるので、役立つ事を素直に実行する勇気がエリートには必要です。 それが正にリーダーシップだからです。

投稿: 吉越勝之 | 2009.02.01 18:11

HMさんの2009.1.16の疑問に対して私はWSさんのホームページで2009.2.1に回答したつもりでありましたが、再度その一部を追記しながら以下の通り再掲させていただきます。

私はもともと経済学とは無縁な分野で仕事をしてきたので、下村さんの書籍については、詳しく読んだ事はありません。 しかし常日頃経済については興味を持っていましたので10年位前から努力して経済的事実を分析研究しているのです。
私が経済学に疑問を持ったのは、科学技術の世界では論争は「真実に向かって近似値の争い」であり成果も劇的に改善されるのに、経済学の論争は「真逆の論争」を行うのが常であり、結果として政治家がどちらかの意見を採用し、学者の意見どおり実行しても予定通りの改善結果が得られないことを、常日頃実感して経済学の論理回路がどこか根本的に間違っているのではないかと感じていたのです。
下村氏の例でさえ、「評伝 日本の経済思想 上久保敏 著」によれば「経済実相報告書」(第一回経済白書として昭和22年発表)の税制と無関係の物価や家計の原稿を担当した下村氏は当時の主要な経済学者の反対にあっており、その主張は結局採用されませんでした。 しかも下村氏はその翌年から3年間結核で病床にあり、税制まで関与する事は出来なかったと思います。

税制の立案についても池田氏と下村氏は一心同体であったのか、については事実は歴史の闇の中ですが私は全く否定的に考えています。 池田隼人は戦中戦後の主税局長(国家税制立案の最高責任者)を歴任し、昭和21年に第一次吉田内閣の大蔵事務次官に任命された天才であり、税制については命がけでアメリカの強大な生産力の源泉を税制面と財政面(アメリカは膨大な戦費をかけた第二次大戦終了のわずか2年後に財政再建も終了した)から深い造詣を得て、研究を重ねていたプロの税制論者であります。 縦割り行政が徹底されていた当時、同じ大蔵官僚とは言え税制以外の道を歩んでいた10歳年下の下村氏が、税制について池田首相と接点があり、且つ自分の研究対象(物価や家計)以外の税制について意見を述べて採用されたなら、必ず下村理論の中に述べているはずでありますが、全くありません。 したがって下村氏は財政金融の純経済学的側面からの自説を主張したのであって、日本の戦後税制は天才池田隼人単独の研究成果と感性が具現化したものと考えています。 
特に戦後税制が徹底して研究再構築された時期、昭和23年から3年間、下村氏は結核で病床に臥していたのです。 しかし下村氏はその病床の中で経済成長理論の研究を続け、これが後に下村理論として知られるようになった経済成長理論の出発点であります。  
下村理論には税制の寄与は出ていないところを見ると、税制は眼中になかったと言わざるを得ません。 ましてや財政の均衡主義者である下村氏が減税を計算して主張するのは奇異であり、私は下村氏と全く同じ財政の均衡主義者ゆえ最高所得税率を高めて増税すべきとする累進所得税制を主張しているのです。 つまり現状の財政を均衡方向(増税方向)へもっていくと景気が回復される消費税無しの累進所得税制を主張しているわけであり、消費税のように増税すると不況を招き法人税と所得税の減収を招く(つまり国民所得が停滞減少する)消費税の増税など、財政の不健全化を招くもってのほかの主張と、私は事実に基づき強く反論しているのです。

下村さんは「国内均衡と国際均衡を保ちつつ経済を安定的均衡へ導くためには均衡点を下へ見出さざるを得ない」と書かれているそうですが、これを私ならば「自由と平等の正しい定義の文化の形成つまり、国内均衡と国際均衡を強制的に保つような税制で経済をシステム化し均衡点を更に上へ見出します」へ変更したいと考えています。 
税制は自由平等(対等)競争文化の集大成であり「文化」は良いにつけ悪いにつけ「無言の強制力を持つ強大な力を持っているからです。」 
戦前と戦後の日本の劇的な変化と日本経済の発展は正に「自由平等(対等)競争文化定着のコペルニクス的転回」が原因となっているのです。 またHMさんは下村さんの言を絶対に正しいと仮定して述べていますが、サイエンスを求める以上、下村氏が挑んだように先人の意見にも理論の進化の為に事実を持って反論する必要がある場合もあるのです。
自由だから均衡は達成不可能と考える必要は全く無く、不可能に対する挑戦こそがサイエンスなのです。 不可能と考えると全てはその時点で固定化されてしまって全く進歩しなくなるのです。 不均衡を容認する思想や末法思想は間違いなのです。
人間は「過剰性の本能を持つ故に」下の階層は上の階層を目標にシャクトリ虫のように上位階層の個人消費と所得を求め、上の階層は、夢の実現に向かって更に高度な個人消費と高度な所得を求めて努力するのです。 そして低所得階層は既に個人消費段階で商品購入時に高率の租税負担と企業貢献負担済みであるという事実があります。 そこで低所得階層へ生存のために文化的で最低限度の生活の個人消費をする可処分所得の獲得を保証する(そのためには生活保護世帯以下の所得の家計の非消費支出はゼロに近づける工夫が必要)税制の仕組みが望まれるのです。 高所得者層は高所得ゆえに生存のための個人消費(消費支出+非消費支出・・家計調査報告参照)の所得に対する平等率負担となる最高所得税率の高い高累進所得税制に因る租税負担は、自らの自制によって過剰な個人消費や過剰な貯蓄を自制して通貨で納付する事は出来るのです。
市場経済ではそのような税制を受け入れられるので「消費税無しの高い最高所得税率の超過累進所得税制を構築可能」なのです。 結果として経済成長に因る高所得階層の更なる所得獲得や資産価値の向上をもたらします。 つまり過剰性の本能を持つ人間の社会では「過少の方向へ過剰にならない範囲で、且つ過大の方向へ過剰にならない範囲内の自由と平等(均衡)」が本質的に必要なのです。 逆にそれを超えた過剰さは規制の対象になると考えて良いと思います。 全体主義も共産主義もこの「自由と均衡(平等)思想」が欠如していたのです。
マッカーサーはGHQ時代日本国憲法を始め45の基本法律へ、「自由と均衡(平等)思想」つまり「自由平等(対等)競争の絶対性原則」を徹底追加したのです。
労働基準法、労働関係調整法、労働組合法を構築したのは、「労使の対等性を法律で保証し」企業と社会の均衡ある発展と対外的には労働コストの過剰な切下げによる安かろう悪かろうの製品輸出を結果として阻止する狙いもあったと思われます。
「現場の刑事」は科学的な捜査を徹底しようとする故に予断を廃し、全ての可能性を考慮に入れて、上司の意見を無視してでも、あらゆる事実の収集に全力を注ぐのです。
サイエンスとしての科学的捜査とは、そのように事実を捜査するものなのです。
そしてアメリカで貯蓄過少の現実が問題であれば金融政策の貯蓄金利で貯蓄誘導する政策が最も適切と考えられます。 その点低金利政策は良い政策とは言えません。
貯蓄不足部分は銀行による中央銀行からの借り入れによる資金での、貸し出しでも補えるので、貯蓄不足は経済にとって決定的な悪問題ではないのです。

まず欧州大陸諸国には「優越的国家論で計画や統制を重視する」文化や論理があります。 だからこそ優越的な究極の国家論である全体主義や共産主義は欧州大陸諸国から生まれ「自由平等を国是」とするアメリカからは絶対に生まれなかったのです。 故に欧州型付加価値消費税制も「計画と統制を国是」とする欧州大陸諸国から生まれたのです。 
従って消費税制の複雑で人間社会に役立たない本質を知るアメリカは全世界が消費税を導入する現代においても絶対に消費税制を導入しない唯一の国家なのです。
消費税の増税と累進所得税の低下減税は所得再配分機能と進化システムの個人消費の増殖力を事実として低下させ、結果として総需要は低下するので、不況を招き毎年の税の自然増収は全く期待できず財政再建には全く役立ちません。 それに対して消費税無しの最高所得税率の高い累進所得税制は所得再配分機能が強化され国家全体の消費性向が高進し、更に個人消費の増殖力がそのまま発揮されるため、結果として強力な景気回復効果を表し、経済成長をもたらし、毎年税の自然増収をもたらす事は、事実として過去の長い歴史的事実から明々白々であります。 (私の論理証明を詳しく見ていただければわかります。)
これはアメリカ経済の第一次世界大戦からの100年の歴史と、日本の戦後43年間の税制と経済の歴史を調べれば直ぐに分かります。

投稿: 吉越勝之 | 2010.08.13 14:13

HMさんは真面目な方なので、大変ご返事が遅くなり申し訳けありません。 WSさんには早速ご返事意見を掲載していただきありがとうござました。 今後もよろしくお願い申し上げます。

投稿: 吉越勝之 | 2010.08.16 17:17

To:吉越氏

科学を標榜しているにも関わらず、情緒的かつ冗長、さらに非現実的な内容です。


まず、以下のように明白な誤りと矛盾が見受けられます。

> 貯蓄不足部分は銀行による中央銀行からの借り入れによる資金での、貸し出しでも補えるので、貯蓄不足は経済にとって決定的な問題ではないのです。

> 為替相場の安定は「購買力平価の実現つまり貿易収支の均衡」こそが重要です。
> (中略)
> この貿易収支均衡政策により為替相場の均衡が保たれ、適正な購買力平価の為替相場を得られ、完全ではないが為替相場に翻弄されている企業経営にも国家は大きく貢献できるようになるのです。

経済学のモデル以前に、経済活動を計測するための枠組みとして国民経済計算体系が存在します。これは現実の経済活動において遍く使用されている『複式簿記』の原則に従ったもので、国際収支統計もこれに含まれます。そして、国際収支では以下の関係が必ず成り立つ事が知られています。

☆経常収支+資本収支+外貨準備増減(逆符号)=0

この関係により、一国経済の貯蓄不足が以下の関係を満たすことは明らかです。

『貯蓄不足』
={投資+財政赤字(公債費除く)}-民間貯蓄
={個人消費+投資+財政支出(公債費除く)}-国民所得
=-経常収支
=資本収支+外貨準備増減(逆符号) ※資本収支と外貨準備増減の負値は資金流出超(正値は資金流入超)

上記の恒等関係を理解していればわかる事ですが、『貯蓄不足』を国内でファイナンスする事は理論的に(もちろん実務的にも)不可能です。したがって、「貯蓄不足部分は(中略)中央銀行から(中略)補える」という主張は完全な事実誤認です。

そもそも『貯蓄不足』と『資金不足』は全く別の概念であり、発生するタイミングすら異なるものです。両者の混同は単なる理解不足によるものと思われます。

※非基軸通貨国において海外から1ドルすら調達できない環境下では、国内経済で実現可能な貯蓄不足は『外貨準備高』の範囲内にとどまります。更に外貨準備が枯渇すれば、貯蓄不足は起こりえません(=外貨を用意できないのだから、輸出額+所得移転受取額を超える海外からの輸入取引自体が成立しない=資金不足)。かつての戦後日本においても外貨不足による制約が実際に存在しましたし、最近キューバにおいてもこの現象が発生しました。

※基軸通貨国では、仕組み上『資金不足』や『外貨準備の枯渇』が起こりません。基軸通貨国の『貯蓄不足』は、他国の『対外金融資産』や『外貨準備』として蓄積されていきます。そのため、基軸通貨国で発生しうる通貨危機の形は『自国の株式・債券が海外からの信用を失う ⇒ 運用先を失った資金が一斉に自国通貨と交換され、基軸通貨が暴落する』というものに限られます。

※ごく最近ですが、BISが『外貨不足の緩和には、自国の外貨準備を利用するよりも通貨スワップ(交換)のほうが効果的』との研究結果を公表しました。経済現象の影響と適切な対応については、このように実務レベルでの研究が日々おこなわれているのです(エコノミストについて知りたいのであれば、マスコミや政治家御用の露出狂エコノミストではなく、こういった『現場の人たち』に焦点を当ててください)。


次に為替相場の変動要因ですが、たしかに長期的には当該国の経済(購買力平価)を反映すると考えられています。しかし、より深刻な問題を引き起こす短期変動は投機的な資本取引によって生じるものです。為替相場の変動を力で抑え込むつもりなら、中国政府と同じ手段(資本取引の規制)をとる必要に迫られるでしょう。

以上より、吉越氏が

「為替相場の安定には貿易収支の均衡こそが重要である」

との主張を掲げるのであれば、それは必然的に

「一国経済の貯蓄過不足は重大な問題であり、国民総所得に見合った支出(=消費+投資+財政)水準を設定・誘導する必要がある」
「相場安定を確かなものにするには、経常収支の均衡維持だけでなく海外との資本取引を規制する必要がある」

との主張へとつながる筈です。しかし実際には、これと矛盾して

吉越氏「貯蓄不足部分は銀行による中央銀行からの借り入れによる資金での、貸し出しでも補えるので、貯蓄不足は経済にとって決定的な問題ではないのです。」

という支離滅裂な主張が飛び出しました。

次はこれ。

> インフレ時に強者に集まる所得を税制によって所得再配分することによって、早期にインフレを収束して

完全に意味不明です。
インフレは、生産力を慢性的に上回る購買力が出現している状態です。ここで高所得層→低所得層への所得配分を強化して(御説のように)消費性向が上昇するのであれば、更なる購買力が市場に投入される事になるのでインフレ傾向はいっそう固定化されます(インフレ期待へのポジティブフィードバックが働きます)。御説のような政策は「物価上昇に応じた所得上昇を求める大衆」に対する迎合政策に過ぎず、正しく朝三四暮の寓話そのものと言わざるを得ません。

更に、以下は悪意のある誤読ではないかと疑いたくなります。

> エネルギー資源の制約

引用元の正確な記述は『エネルギー・資源の制約』です。
「エネルギー」が重油・ウラン燃料等を利用したエネルギー生産を指しているのと同じく、「資源」が鉄鉱石・小麦・レアメタル等の原材料産出を指している事はあまりにも明白です。

> (例えどんなに資源が高値になっても)資源が輸入できれば

あらゆる資源の産出量には、その時点での物理的な限界という厳然たる制約が存在しています。どんなに高値でも輸入できる、という前提は現実を無視した空論です。

> 更にエネルギー資源の高騰は代替エネルギーの開発促進要素となり

これは誤読から派生した無意味な主張です(原材料の視点が完全に抜けている)。

資源産出量の物理的限界がいつ訪れるのかは誰にもわかりませんが、産出の限界が明らかになった後に代替資源への切り替えを模索するようでは間に合わず、その時点から生産水準を引き上げる事が困難になります。それが『資源の制約』による生産力の天井であり、いくら人間の強欲があろうと無いものは手に入れる事ができない、ただそれだけの事実を常識から指摘しているのです。

極めつけのウソは以下の記述でしょう。

> 1.まず個人消費(商品購入)時に消費者は、商品コストに実質的に含まれている
> 「全租税負担(法人税、源泉所得税、消費税等の国家維持費用)+税引き後の材料費、人件費、諸経費等の企業貢献負担つまり企業維持費用」  を事前に個人消費(商品購入)の原価に織り込まれて国民全員が平等率で負担していると考えます。 これは厳然たる事実です。経済活動は全て個人消費に応じて国家費用も企業費用も全額平等率に負担している事実から出発するのです。

この文面のどこに事実が書かれているのでしょうか。
『三面等価の原理』や『中間投入』を理解しておられますか?

「国家維持費用」「企業維持費用」という用語も概念も実在しませんが、百歩譲ってこの言葉で説明するなら以下の関係が必ず成立しています。(「国家維持費用(仮)」は「純間接税+直接税+社会負担」/「企業維持費用(仮)」は国内全企業の「売上高-純間接税-直接税-社会負担」を指していると想定。また、輸出・輸入以外の対外経常取引は無視する。)

⇒「企業維持費用(仮)」
= 売上高-純間接税-直接税-社会負担
= 中間投入+固定資本減耗+{要素所得-直接税-社会負担}

⇒NDP
=「国家維持費用(仮)」+{「企業維持費用(仮)」-中間投入-固定資本減耗}

⇒GDP
=「国家維持費用(仮)」+「企業維持費用(仮)」-中間投入
=個人消費+投資+財政支出(公債費除く)+経常収支

⇒ 個人消費-{「国家維持費用(仮)」+「企業維持費用(仮)」}
=-{投資+財政支出(公債費除く)+経常収支+中間投入}・・・(A)

⇒「国家維持費用(仮)」+「企業維持費用(仮)」=国内産出・・・(B)


関係式(A)の右辺が『恒等的に0とはならない』事や『特定の関数にならない』事は一目瞭然で、
それを踏まえて『厳然たる事実』を指摘しておきます。

“個人消費と「国家維持費用(仮)」+「企業維持費用(仮)」との間には、何の関係も存在しない”

唯一関係あるのが『国内産出』ですが、これは中間投入を含む量で『同じ経済活動を多重カウント』しているのです。つまり、“経済活動は全て○○○に応じて国家費用も企業費用も全額平等率に負担している”という要件を満たすような都合のよい指標は絶対に存在しない、というのが結論です。


※そもそもの間違いは、根拠に乏しい自作の費用概念に頼る過程で『三面等価の原理』を無視した事です。『生産』『支出』『分配』の等価性を利用して同様の議論を展開すれば、何かしら有益な結論を得られる可能性もあるでしょう。

論っていてはきりがありませんが、これで最後にします。

>ただ消費性向は家計調査報告では「消費支出/可処分所得」となっており、可処分所得とは「所得―非消費支出(主として租税等)」となっている点に留意しなければなりません。 私は非消費支出=個人消費と考えています。 それは非消費支出は結局国家の所得再配分機能により、低所得階層に再配分されるので、その所得者は100%近く個人消費するので、非消費支出は結果として個人消費と考えられます。

適当な推量をしないでください。
所得配分の結果は、家計調査の『実収入』に含まれています。納税額より社会保障費の受取が多い家計なら、

可処分所得 = 実収入(社会保障費受取含む)-非消費支出(納税額含む)

という計算で可処分所得が上積みされるだけです。消費支出は実際の購買行動を積み重ねた数字を使用するもので、勝手に解釈を変更すれば消費の実態から乖離する弊害しか生まれません。

正しい解釈は、

消費性向 = 消費支出(=実際の購買行動を反映)/可処分所得(=所得移転を反映済み)

という至極当たり前のものです。

------------------------------
『全ての課題は「事実と事実の集大成である歴史」を元に判断すべき』という主張はまことに御尤もで、これに従うなら上記のような事実誤認は容認できません。事実の把握や理解が十分でない事柄を文章に加えるべきではないと思います。

今回の吉越氏の主張は「観測事実」と「事実に基づかない個人的願望(あるいは風聞に基づく誤認)」がごちゃ混ぜになっており、論理的には全く意味がありません。
たとえ途中で示唆に富んだ指摘をなされても、全体の整合性が取れていない主張は専門家に受け入れられないでしょう。

投稿: 暇人 | 2010.08.23 03:51

吉越氏には、国民経済計算の資料を一から読み直される事をお勧めしたいと思います。

とりあえず、以下の箱庭で遊んでみてください。
この世界で御説を駆使して経済を安定成長に乗せられる事を証明できたなら、それは偉大な成果と言えるでしょう。

[饅頭経済] この国の消費者(100名)は、饅頭だけを買って生活している。家計消費性向は100%。
-----------------------------------------

饅頭1個 = 100通貨単位(通貨単位は任意。好きな名前を付けてください)

この国では、饅頭2個で一年間生きられる。
役員数: 1人 ⇒ 一年間の役員報酬は 饅頭 5個分、役員賞与は税引後利益-設備投資額
従業員数: 80人 ⇒ 一年間の給料は 饅頭 2個分/人
年間製造販売数: 饅頭 365個 ⇒ 1日1個製造販売、年中無休
借入額: 饅頭 345個分
借入金利息: 饅頭 10個分
設備投資: 饅頭 10個分 ⇒ 設備老朽化に伴う更新のみ

饅頭工場に運転資金を貸し付けてくれる。行員1名。
預金額: 饅頭 345個分
貸出額: 饅頭 345個分 ⇒ 毎年最終日に返済可能な貸付先には、ロールオーバーを認める。
年間受取利息: 饅頭 10個分 ⇒ 饅頭工場から支払われる貸付金利息
年間支払利息: 饅頭 6個分 ⇒ 預金金利。銀行員の給料は、受払利息の差に相当(饅頭 4個分)

毎年初めに、原料農作物を売ってくれる。9名で運営。
年間小麦販売: 饅頭 30個分
年間小豆販売: 饅頭 30個分
年間砂糖販売: 饅頭 30個分

饅頭工場の設備を設計・製造している。1名で運営。
年間製造: 饅頭 10個分 ⇒ 饅頭工場から受け取った代金で、すぐに原料金属(鉄)の代金を支払う。

饅頭工場から法人税(税率50%)を得て、公共サービスを提供する。公務員 8名。
徴税額: 饅頭 30個分 ⇒ 公務員の給料へ

原料金属・燃料と饅頭原料の一部は、海外から輸入している。
重曹: 饅頭 15個分
燃料: 饅頭 25個分
鉄: 饅頭 5個分

海外は、饅頭原料の代金で饅頭を買ってくれる。
饅頭 45個

-----------------------------------------
※饅頭工場では、毎年初めに前払いで役員賞与以外全ての支払いを済ませている(原資は銀行からの借入)。


(1)生産
|産出 饅頭 499個分 (饅頭:365、農産物:90、金融サービス:4、公共サービス:30、機械製造:10)
|中間投入 饅頭 139個分 (農産物:90、輸入原料:45、帰属利子:4)
⇒|総付加価値 饅頭 360個分 (饅頭:235、農産物:90、公共サービス:30、機械製造:5、金融サービス:4、帰属利子:-4)

(2)分配(所得)
|饅頭:235 ⇒ 雇用者報酬:165、営業余剰・混合所得:70
|農産物:90 ⇒ 営業余剰・混合所得:90
|公共サービス:30 ⇒ 雇用者報酬:30
|機械製造:5 ⇒ 営業余剰・混合所得:5
|金融サービス:4 ⇒ 雇用者報酬:4、営業余剰:0
|帰属利子:-4 ⇒ 営業余剰:-4
⇒|雇用者報酬 饅頭 199個分 (工場役員:5、工場従業員:160、銀行員:4、公務員:30)
⇒|営業余剰・混合所得 饅頭 161個分 (饅頭工場:70、農家:90、町工場:5、銀行:-4)
⇒⇒|財産所得 饅頭 0個分 (饅頭工場:-30、銀行:4、預金者:6、工場役員:20)
⇒⇒⇒|所得税・法人税 饅頭工場:-30 → 政府:30

(3)支出(消費・投資)
|民間最終消費支出 饅頭 320個分 (というか、饅頭320個)
|集合消費出(公共) 饅頭 30個分
|設備投資 饅頭 10個分
|輸出-輸入 饅頭 0個分 (輸出:饅頭45個 - 輸入:饅頭45個分)

投稿: | 2010.08.23 04:09

To:WSさん

> 外貨準備(3)は、急激な円高進行を阻止するためのドル買い介入で積み上がるものです。それゆえ、貿易収支の黒字(1)と大きな関係があります。データからみて、長期的には、貿易サービス収支の黒字のおよそ半分が、外貨準備の増加になると考えてよさそうです。そこで次の関係式が得られます(下に記したのは2007年の数字)。

> 資本収支の赤字 ≒ 1/2 × 貿易サービス収支の黒字 + 所得収支の黒字
>(22.5兆 ≒ 1/2 × 9.8兆 + 16.3兆)

これは正しくありませんね。


まずこれ。

> 外貨準備(3)は、急激な円高進行を阻止するためのドル買い介入で積み上がるものです。
> それゆえ、貿易収支の黒字(1)と大きな関係があります。

日本政府の外国為替資金特別会計は、そもそも円高進行を止めるためのものではありません(結果的に、そのように使われてしまっただけ)。ですから、このような表現は可能な限り避けるべきでしょう。

それから、変動相場制でドル売買を平衡させるには、『経常収支+資本収支~0』となる事が暗黙的に要求されています(ドルの過不足を解消する方向に相場が変動する)。その意味で『経常収支黒字』と『資本収支赤字(=資本流出)』は表裏一体の関係にあり、資本流出を鬼子扱いするのは公正さを欠く態度です(適切な中身、適切な規模、適切なタイミングであれば有益であり必要なものです)。

顧客の『経常取引』や『資本取引』から生じる多数のドル売買が最終的に釣り合わないと、仲介業者(銀行等)に為替エクスポージャーが発生します。業者はこれをカバーするために「ドル不足ならドルを買い、ドル余剰ならドルを売る」事になりますが、『一国全体のドル決済が売買同額でない限り』国内金融システム全体では『ドル不足またはドル余剰』が発生する事になります。この不均衡状態を放置すると、最終的に売買が均衡する水準までドル相場が変動するのは理解できると思います(ドル不足ならドル増価、ドル余剰ならドル減価)。

最近の日本は基本的に「経常収支>0、経常収支+資本収支~0」ですが、時として資本収支が異常な動きを見せて「経常収支+資本収支 >>0」となる事があり、そのたびにドル余剰の不均衡状態が発生してドル減価圧力が高まります。そのため、日本政府が大規模な平衡介入を実施する場合は「ドル買い」が多いのです。

例えば2003年度に発生した過去最大級の資本収支黒字に対し、これを相殺する形で外貨準備が急増しました。
この年は、年金の代行返上に絡んだリパトリエーションと外国投資家の日本株買いが重なってしまい、明らかに異常な資金移動が発生していたようです(更に言うなら、この年の貿易収支は「普通」でした)。
http://www.mof.go.jp/kankou/hyou/g629/629_00a.pdf

ドル流出に直面した国では、慢性的に「経常収支<0、資本収支>0」となっている事が多く、このような国では海外からの投資が滞れば直ちに「ドル不足によるドル増価圧力」が高まります。その場合、政府が平衡介入をおこなえば「ドル売り」となります(海外が投資の引き揚げに転じれば更に状況が悪化し、最終的には外貨準備が枯渇します)。

以上を理解したうえで国際収支統計を見直せばわかる事ですが、外貨準備増減は『{経常収支+資本収支}の0からの乖離』を打ち消す形でしか発生しておらず、しかも最大の変動要因は『資本収支』である事が一目瞭然です(下記※)。

> 長期的には、貿易サービス収支の黒字のおよそ半分が、外貨準備の増加になると考えてよさそうです。

先の指摘を踏まえると、この仮説は根拠が皆無であり、データにも整合しません。

> そこで次の関係式が得られます(下に記したのは2007年の数字)。
> 資本収支の赤字 ≒ 1/2 × 貿易サービス収支の黒字 + 所得収支の黒字
>(22.5兆 ≒ 1/2 × 9.8兆 + 16.3兆)

以上より、こうした因果関係の想定は正しくない、という結論です。

※<国際収支統計の時系列データ>
http://www.stat-search.boj.or.jp/index.html

リンク先で「国際収支」ボタンをクリック。
グラフのページが開くので、「系列追加」ボタンをクリック。
「データコード直接入力」ボタンをクリック。
コード入力画面に

BP'BPBPJYNCF
BP'BPBPJYNGF
BP'BPBPJYNER

をコピー&ペースト(最終行も改行)して「展開」ボタンをクリック。
「全選択」ボタンをクリックしてから、「追加」ボタンをクリック。
「OK」ボタンをクリック。
月次データで再描画するとわかりやすいです。

不要なデータを削除して以下を追加すれば、リーマンショックの傷の深さが現れます。

BP'BPBPJYNEX
BP'BPBPJYNIM

投稿: 暇人 | 2010.08.28 20:26

暇人さま

コメントありがとうございます。お返事が遅れて申し訳ありません。

まず、統計誤差を除けば

経常収支の黒字 = 資本流出 + 外貨準備の増加 ... (A)

という式が成立します。これは恒等式で、どのような期間をとってもつねに成立する式です。

一方、WSは

外貨準備増加 ≒ (1/2) × 経常収支の黒字 ... (B)

という式(および、これと恒等式(A)から導かれる式)も書きました。こちらのほうは、毎月毎月、あるいは毎年毎年、つねに成立する、という意味で書いたのではありません。

1990年代後半から2005年にかけて、外貨準備は約50兆円から100兆円まで倍増しました。年に5兆円のペースです。この間の経常黒字は平均すれば年に約10兆円でした。つまり、この期間全体を平均してみれば、だいたい(B)の関係があった、と言っているのです。

(B)における係数1/2を一般化して、係数をkと書くならば、つまり

外貨準備増加 ≒ k × 経常収支の黒字 ... (B')

によって(定数でない)kを定義するならば、2003年などはkが2を越えていましたし、たしか2005年以降は外為介入がないので、kは約0.2です。

(外貨準備に利息4%がつくとすると毎年約4兆円外貨準備が増えます。経常収支の黒字を15〜20兆円とすれば、kは約0.2になります(ただし準備外貨は全く売却されないと仮定))

円売り介入を求める圧力など、内外の諸要素が今後も仮に過去の平均的な状況と同じならば、長い期間で平均すれば、式(B)がだいたい成立するであろう、と言っているわけです。(そういう意味では(B)は経済学に基づく主張ではなく、政策に依存した式です。)

短中期的には、資本収支こそが主な変動要因であり、経常収支がそれに従うという見方には完全に同意します。


あと、円売り介入はあっても円買い介入がほとんどない理由ですが、WSは内外の物価上昇率差に原因があると考えています。為替レートは中短期では内外の実質金利差(とそれに伴う資本移動)によって変動しますが、より長期では内外の物価上昇率の差を反映して決まると思われます。

つまり、内外の物価上昇率の差のために長期で円高トレンドがあるので、その長期トレンドに景気循環に伴う中短期の為替レートの変動が足された結果は、急激な円高の進行とゆるやかな円安の進行が交替する形になる。急な円高進行の際にしばしば円売り介入が行われるが、ゆるやかな円安進行の際には円買い介入は行われない、ということです。

投稿: Wave of sound | 2010.09.06 00:55

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