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「最適な」所得税制を求めてみる(2)---所得の伸び率からのアプローチ

過去10年間に、高所得家計や低所得家計にくらべて、中間所得家計の所得は大きく落ち込みました。

次の棒グラフは、2人以上の世帯の5年前の所得を100としたときに、現在の所得がいくらであるかを示しています。
短期的なゆらぎを除くために5年(60か月)移動平均をとって、その5年前の値と比較したものです。 過去10年分の月次データから計算しました。 ソースは
統計局ホーム/統計データ/家計調査/家計収支編 調査結果/6.参考結果表
です。

Fig6
図1

横軸には、家計の所得分位をとってあります。 たとえば、20%とあるのは低所得側から20%目の家計という意味です。 仮に全部で8000世帯があるならば、1600番目の世帯の所得を5年前と比べていることになります。

すべての所得層で所得は減少しています。 この所得は名目所得なので、デフレ(物価下落)の影響もあるのでしょう。

所得層別に見ると、図の棒は中央付近で短く、両端で長くなっています。 つまり、この10年の間に、高所得家計や低所得家計にくらべて、中所得家計の所得が大きく落ち込んだことがわかります。

所得の減少率(5年あたり)は次のようになっています。
・低所得家計 約4〜5%
・中所得家計 約8%
・高所得家計 約6%

税制でこの歪みを是正するためには、中間所得(年収500万円付近)に対する限界税率を現在より低くし、低所得側と高所得側で限界税率を高めるような税率の調整が必要であると思います。 調整後の限界税率(=超過累進税率)のイメージは、ちょうど前回の記事の図1のようなものになります。

なお、かりに低所得側の限界税率を高めるならば、給付(EITCのような)と併用するなどして、低所得家計の負担増を避ける必要があります。

あと、最近、「消費税率を上げて社会保障に使う」という声がよく聞こえてくるのですが、WSは賛成できません。 これは、中低所得家計からもっと多くの税金をとって低所得家計に給付する、と言うのとほぼ同じことだからです。 高所得家計を隔離した再分配には賛成できません。

上の棒グラフからわかるとおり、この10年でもっとも所得が減少したのが中所得家計です。 日本の経済成長を支えてきた分厚い中間層が消え去ろうとしています。 消費税でこれ以上、中所得家計に大きな負担を押しつけて、経済が成り立つとは思えません。


■望ましい最高税率の決め方

現在、所得税の最高税率(限界税率)は、住民税を含めて50%です(年収2380万円以上)。 1983年以前には、最高税率は93%(=所得税75%+住民税18%、年収8775万円以上)でした(参考図)。 WSは、ある程度の最高税率の引き上げはやむを得ないと考えます。

しかし、最高税率を仮に引き上げた場合、財政赤字などを口実にどんどん税率が上がって、高所得家計の負担が際限なく増える、という恐れはないでしょうか。

それを止めるよいアイデアがあります。

上の棒グラフ(図1)では、中所得家計の所得が大きく減少しているのに、高所得家計の所得減はそれほどでもありません。 このような状態はおそらく、最高税率を現状より高めるのが望ましい状態です。

それに対して、仮に、最高税率を引き上げて何年かして、中所得家計の所得が大きく伸びているのに、高所得家計の所得はそれほど伸びていないことがわかった、としましょう。 そのような状態はおそらく、最高税率をその時点での値より引き下げるのが望ましい状態です。

このように、各所得階層の(税引き前の)所得の伸び率が均一になるように、最高税率や税率表を調整していく、という方法が考えられます。

最初は過去の経験や各所得層の厚生への配慮をもとに天下り的に税率表を決めるしかないでしょうが、そのあとは毎年、各所得階層の所得の伸び率を観察して、税率表の調整をしていけばよいわけです。 ただし、あとで触れますが、サンプリングに起因する統計的なゆらぎや、短期的な景気変動の影響を除くために注意が必要です。


■Uさんからのメール

所得の伸び率を均一にするというアイデアは、Uさんがメールで提案して下さったものです。 以下に該当部分を紹介します(少しだけ手を加えました)。

>>>
「消費を最大化する所得税制」の連載を拝見してメールさせて頂きました。

 *

所得再分配によって低所得層の可処分所得を増やせば増やすほど国内総所得が最大化される・・・というのは確かにその通りなのですが、いざ実行しようとすると高所得層の抵抗が激しくなりそうなのが心配です。一方で、所得階層別の消費性向の違いを考えればやはり所得再分配は必要不可欠でしょうし、ロールズ基準も考慮しなければならないでしょう。

では所得再分配を行うに当たりいかなる基準を用いるのが妥当か。Wave of sound様の過去のエントリー

所得は努力や才能に比例するか---分布の形からの考察
http://waveofsound.air-nifty.com/blog/2009/01/post-b71e.html

と絡みますが、ポール・クルーグマン教授が著書

『クルーグマン教授の経済入門』 P045 図8 実質所得の変化率
と 
『経済政策を売り歩く人々』 P192 図6 所得階層による所得成長率の相違

で、1947年〜1973年のアメリカでは適切な?所得再分配政策により高所得者から低所得者まで所得成長率が平均化されていたことを示しています。

アメリカは高所得者から低所得者まで消費性向が高いという特異性があります。そのような経済でさえ所得再分配を緩和したら歪みが生じてしまった。ということは、所得再分配の必要性は消費性向よりも実は所得成長率に関係しているのではなかろうか?と感じるのです。

そして、もし所得再分配の必要性が所得成長率に関係するなら、思い切って所得成長率の平均化をターゲットにすれば、結果的に消費性向の調整になるのはもちろんのこと、ロールズ基準もギリギリ満たせるのではないだろうか・・・と思うのです。そして明快なルールのため「これ以上累進をきつくしてはならない」というラインが明示され高所得層の理解が得やすくなるはずです。
<<<
(引用終わり)

WSは、「所得再分配の必要性が消費性向よりも所得成長率に関係している」というアイデアに全面的に賛成することはできません。

しかし、少なくとも、高所得層ほど所得増加率が高いような状態がずっと継続すれば、所得格差がどんどん開いてしまって、望ましくないことは明らかです。 これはある時点での最高税率が高すぎるのか、あるいは低すぎるのか、を判定する実用的な方法を与えてくれます。

米国の消費性向の特異性については、以前の記事「意外にも手厚い社会保障が消費性向を引き上げる米国」でWSの考え(資産効果による説明)を述べました。 よろしければご覧下さい。


■データを調べていて気付いたこと

所得階層別の(税引き前の)所得の伸び率を均一化するように税率表を修正していく、という今回の記事のメインのアイデアについては上で、ほぼ言いたいことを書きました。

これ以降は、2人以上の世帯について、低所得家計の所得の減少率が、中所得家計ほど大きくない点について考察してみます。 また、所得階層別の所得の推移を生データで観察してみます。 さらに、もし、もっと統計的ゆらぎの影響の少ない月次データが入手できれば、所得変動率から「最適な」限界税率表を決めることができる、というアイデアについても書きます。


■低所得家計の所得減少率が小さいのは本当か?

上では2人以上の世帯の所得の減少率が、低所得家計では5年あたり4〜5%であるのに対し、中所得家計では同8%であることを見ました。 低所得家計の所得は中所得家計ほどは減っていません。 これはどう解釈するべきでしょうか。

そこで単身者世帯のデータを見てみます。

Fig7
図2

平均的な単身者世帯の所得は、5年で約7%減ったことがわかります。 低所得あるいは高所得の単身者世帯では所得減少率がもう少し小さくて、4〜5%程度です。

単身者世帯の所得は2人以上の世帯にくらべて少なく、単身者世帯でほぼ中央である40%めの家計の所得が2009年で215万円であるのに対し、2人以上の世帯では、低所得側にあたる10%めの家計の所得が281万円です。

これらのデータからWSは、次のように推測します。

2人以上の低所得世帯の所得減少率が小さいのは、実際に個々の世帯の所得があまり減っていないからではなくて、所得が減少した世帯がサンプルから漏れてしまったからではないでしょうか(一家離散? 若年層が地方から大都市圏へ働きに出る等)。

また、これも推測になってしまいますが、単身者世帯の場合に、低所得世帯のほうが中所得世帯より所得減少率が小さい理由も、住所変更などで追跡ができなくなった等の理由による可能性もあるかと思います。

こうした推測ははずれているかも知れませんが、この10年間の低所得家計の所得減少率が中所得家計より小さかった、というこの家計調査のデータは十分に注意して扱わなければならない、と感じます。


■所得の月次推移を観察する

2人以上の世帯について、上の分析のもとになった生データを見てみましょう。

Fig1
図3

図3は所得分位別に、この10年間の家計の所得(税引き前)の推移を示したものです。 たとえば、20%と書かれたオレンジ色の線は、低所得側から20%目の家計の所得を示しています。

どの分位の家計の所得もゆるやかに減少を続けています。 このままでは見にくいので、開始時点(2000年1月)での所得を100として、それぞれの曲線を描き直したのが次の図4です。

Fig2
図4

中所得家計の所得の減少が一番大きいことが読みとれます。 しかし、所得のゆらぎ(ぎざぎざ)が大きくてまだ見にくいので、さらに1年間(12か月)の移動平均をとったのが図5です。

Fig3
図5

ずいぶん見やすくなりました。 中所得家計の所得減少が大きいことがわかります。 また、高所得家計の所得減少は、2003〜2004年ごろまでは中所得家計と同程度に大きかったが、そのあとはあまり所得が減っていないことも読みとれます。 低所得家計の所得減少は小さいように見えますが、この点については上で述べたように、注意深い検討が必要であると考えます。


■所得のゆらぎを観察する

月次データと12か月移動平均のデータを比べてみましょう。 次の図6は、低所得側から60%目の家計の所得の推移です。

Fig4
図6

月次所得のデータは、移動平均よりやや低い値を中心にして上下にゆらいでいます。 そのゆらぎ(移動平均乖離率)の幅(標準偏差)を、各所得分位について調べたのが次の棒グラフです。

Fig5
図7

所得の変動率は、低所得家計と高所得家計で大きく、中所得家計で小さくなっています。

これは、景気変動に伴う家計の所得の変動という経済構造を反映したものでしょうか。 それとも、なにか別のものでしょうか。

調べてみると、大変残念なことがわかりました。

図7に示した変動率のふるまいは、9割がた、単なる統計的なゆらぎで説明できるのです。

家計調査はサンプル数が約8000世帯の調査です。 コンピュータでサンプリングを模擬実験してみました。 以前の記事「日本の家計の所得分布と消費性向」で説明したような変形べき分布の形の所得分布(ただし2人以上の世帯の2009年のデータに合うようにパラメータを変えたもの)を仮定します。 ランダムに8000世帯を抜き出し、各分位の所得をメモします。 これを120回繰り返します。 それぞれ12回分の移動平均も求めます。 そうしてみると、図7にそっくりな変動率が再現できます。

がんばって調べたわりには、図7は単なる統計的なゆらぎであった、という残念な結果になってしまいました。


■アイデア---所得の変動率から「最適な」限界税率を決定する

しかし、所得10分位の境界の所得ではなくて、各所得層の平均所得の月次データがもし手に入るならば(探してみましたが家計調査の公開データにはない?ようです)、「最適な」限界税率をもっと客観的に決定できるかも知れません。

平均所得は境界値よりもはるかに、サンプリングに起因する統計的ゆらぎの影響を受けにくいものです。 平均所得を使えば、統計的ゆらぎから景気変動によるゆらぎを分離できる可能性が出てきます。

仮にそれができたとして、所得の変動率をもとに「最適な」限界税率を決めるアイデアはこうです。

ある家計が直面する限界税率(=超過累進税率)とは、その家計が1万円所得を増やしたとき、追加で払わなければならない税金の1万円に対する割合のことです。

当然、限界税率が大きいほど、その家計の所得獲得意欲は減退するでしょう。 景気変動に伴って、各家計の所得は増えたり減ったりしますが、その変動の割合は、直面する限界税率が大きいほど小さくなるはずです。

つまり、(景気変動による)各家計の所得の変動率を均一化するように限界税率表を決める、という方針があり得ます。

一般に、所得yの人が払うべき税金の額をt(y)と書きましょう。

税額表は{t(y)}、限界税率表は{t'(y)}と表せます(プライム'は微分を示します。{}は集合の記号です)。

細かい点は省略しますが、一般に、所得の変動率を均一化するという要請から、t(y)が満たすべき2階の微分方程式が出てきます。

2階の微分方程式の一般解は積分定数2つを含んでいます。 それらを決めるために、2つの条件が必要です。

1つは、マクロな平均税率が(たとえば)20%になる、という条件をとることができます。

もう1つの条件の選択はいろいろあり得ます。 たとえば、マクロな消費性向を現在の0.70から0.04引き上げて0.74にする、という条件を置いてもいいでしょう。 あるいは、低所得家計の厚生を考慮して t(0) の値を手で与えてもよいでしょう。

今回の記事では必要なデータが手元にないのでこれ以上の分析はできませんが、このようにして所得の変動率から「最適な」所得税の税率表を求めるアプローチがあり得る、ということを記しておきます。

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コメント

「成長中立的所得税」に関する研究会を仮仮想制度研究所 VCASI http://www.vcasi.org/
でやらせてもらうことになりました。
Wave of sound さんのデータ使わせてもらっています。

2010年6月23日水曜日午後6時半~
〒107-0052 東京都港区赤坂1-2-2日本財団ビル3階  

です。詳しい案内その他が出たら、またご案内します。もし時間の都合がつくようでしたら、ぜひご出席ください。

投稿: 塩沢由典 | 2010.06.01 01:50

先のコメントで予告させていただいた
「成長中立的所得税」
に関するセミナーの公式の予告が出ました。
(゚ー゚)
---------

日時:2010年6月23日(水)18:30-

場所:日本財団ビル3階A会議室(http://www.vcasi.org/access.html)

発表者:塩沢由典(複雑系経済学、進化経済学/中央大学商学部、VCASIフェロー/http://www.vcasi.org/fellow/塩沢-由典)

討論者:川越敏司(実験経済学/公立はこだて未来大学、VCASIフェロー/http://www.vcasi.org/fellow/川越-敏司)

表題:成長中立的所得税制の提案

概要:
所得税の体系(スキーム)がいかにあるべきかに関して、これまで最適所得税という形で考察されてきた。その視点は、勤労・事業意欲を損なわずに税収を上げるには、個人の最高限界税率をどのくらいにすべきかにあった。本報告では、これとは異なる観点にたつ個人所得税体系の提案である。現在の日本のような需要飽和経済では、所得の上昇にともない消費需要が比率的に低下し、それにより成長が抑えられるというメカニズムが働く。経済の長期閉塞の一因がここにあると考えられる。成長中立的所得税制は、このようなメカニズムから自由な所得税体系である。本報告は、所得税体系を適切に組むことにより、政府最終消費が自動的に調節され、所得上昇が成長を抑制しない成長中立的な税制が得られることを示す。

参考文献:
成長中立的税制
http://www.vcasi.org/node/675
(リンク先のイベント紹介ページの末尾にて資料をダウンロードできます。)

---------

ご参加いただける方は、件名を『「成長中立的所得税制の提案」参加希望』とし、

event@vcasi.org

宛てにお名前とご所属(ご専門)にお知らせ下さい。多くの方々のご参加をお待ちしております。

※皆様方の周囲で興味をお持ちになりそうな方にこのお知らせをご転送いただければ幸いです。
お誘い合わせの上ぜひご参加ください。

※後日web siteにて詳細をご報告する予定です。過去のVCASIセミナーについては以下のURLをご覧ください。

http://www.vcasi.org/event_list/seminar

投稿: 塩沢由典 | 2010.06.13 02:10

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